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手子后神社(神栖市)(1)

 手子后神社(てごさきじんじゃ)は茨城県神栖市の銚子大橋の入口のすぐ近くにあります。

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入口参道から奥に続いて拝殿が見えます。

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入口に神社の説明があります。

「祭神は手子比売命(てごひめのみこと)。鹿島史によると神遊社ともいい、御祭神は、大神の御女なりとある。又一説には「常陸風土記」の「童子女の松原」に見られる安是の嬢子を祀った社とも言われている。

神護景雲年間(西暦七六七年)の創建と伝えられ、古くから息栖大洗両社と共に鹿島神宮の三摂社と称されている。

当社は漁師の信仰が厚く、鎮守祭には出漁しない習慣がある。この時期は大時化になることが多く、当社を信仰する漁師はこの習慣により難を免れた。以前は初出の漁船、また遠隔地へ行かれる漁船は必ず利根川の明神下まで船を進め、その無事を祈って船出した。」

そして「童子女(うない)の松原」の説明があります。こちらでは「うない」とフリガナがふられています。
その最後に「手子比売命と海上の安是(あぜ)の嬢子(いらつめ)とは同一神なりとの説もある」と書かれています。

少し内容をまとめてみると、この神社は「手子比売命」を祀った神社であり、この手子比売命は鹿島神宮の祭神である武甕槌(たけみかづち)大神の娘であるとされ、一説には常陸風土記に書かれた童子女の松原で古津松という松になったという安是の嬢子(女性の方)であるともいわれると書かれている。またこの神は同一であるかもしれないのだ。

どのように理解すればいいのだろうか。

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場所が漁師町に近く江戸時代も波崎・銚子からは江戸へたくさん魚が運ばれていたのだから、この古社がいつのまにか漁業の女神を祀っているように思われていったものではないだろうか。

神栖市観光協会のホームページにはここの祭りについて

「毎年大潮祭は旧暦の6月15日に近い土・日曜日に執り行われます。
航海の安全や豊漁を祈る、海の男たちの祭りです。 初日夜の『宵宮』2日目の祭礼当日ともに神輿や鳴物が街中を練り歩きます。この日は波崎の漁船は出漁を止め大漁旗を飾り、乗組員は神社に参拝します。」

と書かれています。なかなか大きなお祭りのようだ。

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狛犬もいい風情をしている。

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神社拝殿。創建の年代が書かれている。
この年代にはすでに常陸風土記は編纂されていたのだから、あとからこの神社を建てる何かの力が働いたのか?

もっとも神社の創建年代などはあまりあてになるものは少ないが・・・。

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こちらが本殿。

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明日に続きます。



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手子后神社 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/07 20:33
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