童子女の松原
1300年前に書かれた常陸国風土記の「香島郡(かしまのこおり)」にこの地方の言い伝えとして次の話が出てくる。
ここでは口訳・常陸国風土記から文章をお借りします。
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○ 童子女の松原
軽野の南に童子女の松原がある。
むかし、那賀の寒田のいらつこ、海上の安是のいらつめといふ、年若くして神に仕へてゐた少年と少女がゐた。
ともにみめ麗しく、村を越えて聞こえてくる評判に、いつしか二人はひそかな思ひを抱くやうになった。
年月が立ち、歌垣の集ひで二人は偶然出会ふ。そのときいらつこが歌ふに、
いやぜるの 安是の小松に 木綿垂でて 吾を振り見ゆも 安是小島はも
(安是の小松に清らかな木綿を懸け垂らして、それを手草に舞ひながら、私に向かって振ってゐるのが見える。安是の小島の……。)
いらつめの答への歌に、
潮には 立たむといへど 汝夫の子が 八十島隠り 吾を見さ走り
(潮が島から寄せる浜辺に立ってゐようと言ってゐたのに、あなたは、八十島に隠れてゐる小島を見つけて、走り寄ってくる。)
ともに相語らんと、人目を避けて歌垣の庭から離れ、松の木の下で、手を合はせて膝を並らべ、押さへてゐた思ひを口にすると、これまで思ひ悩んだことも消え、ほほゑみの鮮かな感動がよみがへる。
玉の露の宿る梢に、爽やかな秋風が吹き抜け、そのかなたに望月が輝いてゐる。
そこに聞こえる松風の歌。
鳴く鶴の浮州に帰るやうに、渡る雁の山に帰るやうに。
静かな山の岩陰に清水は湧き出で、静かな夜に霧はたちこめる。
近くの山の紅葉はすでに色づき始め、遠い海にはただ青き波の激しく磯によせる音が聞こえるだけだ。
今宵の楽しみにまさるものはない。
ただ語らひの甘きにおぼれ、夜の更け行くのも忘れる。
突然、鶏が鳴き、犬が吠え、気がつくと朝焼けの中から日が差し込めてゐた。
二人は、なすすべを知らず、人に見られることを恥ぢて、松の木となり果てたといふ。
いらつこの松を奈美松といひ、いらつめの松を古津松といふ。
その昔からのこの名は、今も同じである。
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少し長いのですがそのまま載せました。

昨日書いたとおりこの童子女の松原公園は手前に大きな生涯学習センターがある裏手の松林でした。
学習センターがお休みで気がつかなかったこともありますが、公園の入口はこのセンターを横切っていくのですから矢印の案内板くらい欲しいと思います。

表の通りからはこの看板の文字は読めないのですが近づいてみれば「常陸国風土記 童子女(おとめ)の松原公園」と書かれています。
「童子女」は一般には「うない」と読むのですがここでは「おとめ」とフリガナがふられています。
このように振り仮名をつけられるとこの常陸国風土記に書かれた内容も単なる美男美女の恋愛物語で終わってしまいそうです。
「うない」というのは少年少女の事と言われますが、髪の毛をうなじのあたりで束ねて下に垂らした髪型の事を言うと書かれたものもありましたのでここに造られている男女の像の姿とは少し違うのかもしれません。(神に仕える者です)

公園内は整備されていて、松林の中に常陸国風土記の各郡の説明プレートが1枚づつ置かれており、読みながら常陸国の昔を思うことが出来るように作られています。
でも訪れた方はどんな思いで散策されるのでしょうか・・・。

風土記の話に書かれているように「歌垣」(嬥歌 かがい)の集まりで出会った二人が松の木陰で一夜を過ごし、朝になってしまったので恥ずかしくなり松の木になってしまったというので、この当時の予想される衣装を着た男女像が作られています。
歌垣は筑波山が有名ですが、このような水辺などでもあちこちで行われていたようです。
興味のある方はご自身で調べて見て下さい。


「童子女(おとめ)の鐘」
説明板には
「この童子女の鐘は、いつまでも一緒にいたいという想いを抱き、松の姿に身をゆだねた男女の決して変わることのない深い絆にちなんだ、永遠の愛を願う鐘です。時代の流れを表現したアーチから、現代に語り継がれている2人の出会いの場面をみつめながら、あなたも永遠の愛を願いこの鐘を響かせて下さい」
とありました。
どんな音がするかやはり興味がありますね。
軽く叩いてみました。
ゴオ~ン・・・・ とても大きな音が鳴り響きました。
恥ずかしくなって松の木にでもなりたい気分です(笑)

さて、この公園は一度見ておけばそれでよしと言うことで、何故この童子女(うない)松原の話が常陸国風土記に書かれているのでしょうか。どのような意味を持っているのでしょうか。
この風土記には筑波郡のところにも筑波山の歌垣について書かれていますし、風土記を書いたと言われる高橋虫麻呂の万葉集に載せられている歌にも春と秋の歌垣の様子が歌われています。
これによればこの日ばかりは人妻であっても交際自由?? てな感じです。
さて、この男は「那賀の寒田」であり女は「海上の安是」で、共に神に仕える男女となっています。
これって少し興味深いですね。場所はどのあたりなのでしょうか。
こんなことに興味を持つと、この男女の松原の話も、少し違った話に見えてくるのです。
時間が無くなりましたので続きは明日に調べながら書いてみたいと思います。
この話の後に「手子后神社(てごさきじんじゃ)」を訪れました。
こちらにはこの童子女の二人を祀っています。この二人は神社に祭られる神様になっているのです。
ここを訪れようと思ったのは、先日石岡をバイパスする6号国道が通ることになっている舟塚山古墳の近くにこの波崎にある「手子后神社」と同じ名前の神社を発見したためです。
少しずつ紐解いてみたいと思います。
これから3-4回にわたって訪れた時の写真などで紹介したいと思います。
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ここでは口訳・常陸国風土記から文章をお借りします。
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○ 童子女の松原
軽野の南に童子女の松原がある。
むかし、那賀の寒田のいらつこ、海上の安是のいらつめといふ、年若くして神に仕へてゐた少年と少女がゐた。
ともにみめ麗しく、村を越えて聞こえてくる評判に、いつしか二人はひそかな思ひを抱くやうになった。
年月が立ち、歌垣の集ひで二人は偶然出会ふ。そのときいらつこが歌ふに、
いやぜるの 安是の小松に 木綿垂でて 吾を振り見ゆも 安是小島はも
(安是の小松に清らかな木綿を懸け垂らして、それを手草に舞ひながら、私に向かって振ってゐるのが見える。安是の小島の……。)
いらつめの答への歌に、
潮には 立たむといへど 汝夫の子が 八十島隠り 吾を見さ走り
(潮が島から寄せる浜辺に立ってゐようと言ってゐたのに、あなたは、八十島に隠れてゐる小島を見つけて、走り寄ってくる。)
ともに相語らんと、人目を避けて歌垣の庭から離れ、松の木の下で、手を合はせて膝を並らべ、押さへてゐた思ひを口にすると、これまで思ひ悩んだことも消え、ほほゑみの鮮かな感動がよみがへる。
玉の露の宿る梢に、爽やかな秋風が吹き抜け、そのかなたに望月が輝いてゐる。
そこに聞こえる松風の歌。
鳴く鶴の浮州に帰るやうに、渡る雁の山に帰るやうに。
静かな山の岩陰に清水は湧き出で、静かな夜に霧はたちこめる。
近くの山の紅葉はすでに色づき始め、遠い海にはただ青き波の激しく磯によせる音が聞こえるだけだ。
今宵の楽しみにまさるものはない。
ただ語らひの甘きにおぼれ、夜の更け行くのも忘れる。
突然、鶏が鳴き、犬が吠え、気がつくと朝焼けの中から日が差し込めてゐた。
二人は、なすすべを知らず、人に見られることを恥ぢて、松の木となり果てたといふ。
いらつこの松を奈美松といひ、いらつめの松を古津松といふ。
その昔からのこの名は、今も同じである。
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少し長いのですがそのまま載せました。

昨日書いたとおりこの童子女の松原公園は手前に大きな生涯学習センターがある裏手の松林でした。
学習センターがお休みで気がつかなかったこともありますが、公園の入口はこのセンターを横切っていくのですから矢印の案内板くらい欲しいと思います。

表の通りからはこの看板の文字は読めないのですが近づいてみれば「常陸国風土記 童子女(おとめ)の松原公園」と書かれています。
「童子女」は一般には「うない」と読むのですがここでは「おとめ」とフリガナがふられています。
このように振り仮名をつけられるとこの常陸国風土記に書かれた内容も単なる美男美女の恋愛物語で終わってしまいそうです。
「うない」というのは少年少女の事と言われますが、髪の毛をうなじのあたりで束ねて下に垂らした髪型の事を言うと書かれたものもありましたのでここに造られている男女の像の姿とは少し違うのかもしれません。(神に仕える者です)

公園内は整備されていて、松林の中に常陸国風土記の各郡の説明プレートが1枚づつ置かれており、読みながら常陸国の昔を思うことが出来るように作られています。
でも訪れた方はどんな思いで散策されるのでしょうか・・・。

風土記の話に書かれているように「歌垣」(嬥歌 かがい)の集まりで出会った二人が松の木陰で一夜を過ごし、朝になってしまったので恥ずかしくなり松の木になってしまったというので、この当時の予想される衣装を着た男女像が作られています。
歌垣は筑波山が有名ですが、このような水辺などでもあちこちで行われていたようです。
興味のある方はご自身で調べて見て下さい。


「童子女(おとめ)の鐘」
説明板には
「この童子女の鐘は、いつまでも一緒にいたいという想いを抱き、松の姿に身をゆだねた男女の決して変わることのない深い絆にちなんだ、永遠の愛を願う鐘です。時代の流れを表現したアーチから、現代に語り継がれている2人の出会いの場面をみつめながら、あなたも永遠の愛を願いこの鐘を響かせて下さい」
とありました。
どんな音がするかやはり興味がありますね。
軽く叩いてみました。
ゴオ~ン・・・・ とても大きな音が鳴り響きました。
恥ずかしくなって松の木にでもなりたい気分です(笑)

さて、この公園は一度見ておけばそれでよしと言うことで、何故この童子女(うない)松原の話が常陸国風土記に書かれているのでしょうか。どのような意味を持っているのでしょうか。
この風土記には筑波郡のところにも筑波山の歌垣について書かれていますし、風土記を書いたと言われる高橋虫麻呂の万葉集に載せられている歌にも春と秋の歌垣の様子が歌われています。
これによればこの日ばかりは人妻であっても交際自由?? てな感じです。
さて、この男は「那賀の寒田」であり女は「海上の安是」で、共に神に仕える男女となっています。
これって少し興味深いですね。場所はどのあたりなのでしょうか。
こんなことに興味を持つと、この男女の松原の話も、少し違った話に見えてくるのです。
時間が無くなりましたので続きは明日に調べながら書いてみたいと思います。
この話の後に「手子后神社(てごさきじんじゃ)」を訪れました。
こちらにはこの童子女の二人を祀っています。この二人は神社に祭られる神様になっているのです。
ここを訪れようと思ったのは、先日石岡をバイパスする6号国道が通ることになっている舟塚山古墳の近くにこの波崎にある「手子后神社」と同じ名前の神社を発見したためです。
少しずつ紐解いてみたいと思います。
これから3-4回にわたって訪れた時の写真などで紹介したいと思います。


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