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手子后神社(石岡)と中津川(2)

 石岡市の中津川は高浜と石岡市内のちょうど中間部分に当たる。

古代の地形を考えると流れ海(現霞ヶ浦)を通って常陸国府(現石岡)に来ようとした時に舟でこのあたりに上陸したのかもしれない。

しかし、舟塚山古墳、愛宕山古墳などは結構高台にあり、この流れ海にの水面まで崖が続いているような地形である。

いままでこの崖下の道は車で何度も通ったが、この中津川の上の台地を散策した事が無かった。

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思っていたよりも住宅が広がっている落ち着いた場所で、大きな家が多い。

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庭に植えられたボケの花が美しいのでおもわず写真におさめさせてもらった。
もっとも野に咲く木瓜はもっと小さく地を這うように咲く。
子供の頃に過ごした武蔵野の林などではたくさん咲いていた。

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白モクレンの花も品があって美しい。
でも少しすると花はだらしない姿となって地に落ちる。

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高台から少し下った道沿いに中津川公民館がある。

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この公民館に瓦屋根を持つ小屋風の建物が3つならんでいた。

一番左が「子安神社」真ん中は「???観音堂」、一番右は「花蔵院」と書かれていた。

これらは、この辺りにあったものをここに集約したのだろう。

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今この近くを6号国道のバイパスが通ろうとしている。
通りにぶつかる家はほとんど壊されている。何処に移ったのだろうか?

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うっそうとした谷部分に道路建設の開発が進む。

この地区は確かに古墳地帯で何処まで調査が終わっているのだろうか。
上の通り沿いには古代官道の跡が見つかり道路に架かる部分は発掘調査が実施された。

ただこれらの家の土台の下などは何も調査された跡はない。

神栖市の手子后(てごさき)神社とこちらの神社との関連はわからないが、茨城県に残された手子后神社はどうも古墳時代の民俗的な何かのつながりがありそうに思う。

この舟塚山古墳はだれの墓なのか? 茨城国造?

今後、時間を見てあと3か所を廻って見なければならないだろう。

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手子后神社 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/10 21:18
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