息栖神社遷座
神栖市の神之池に行った時に息栖神社が近いので久しぶりに立寄って見ることにしました。
東国三社といわれ、伊勢にお参りしてこの鹿島神宮・香取神宮・息栖神社を巡ると言うのも水運が発達していた江戸時代には盛んに行われていたようです。
でもこの息栖神社も行くには車でないと不便な場所で、バスで鹿島セントラルまで来ても歩いて2.5km程あるようです。
こちらは車ですからあまり気にはなりませんが、訪れる人も少ないのではないかと思います。

鳥居の脇には「東国三社息栖神社」という石碑が立っています。

またそのすぐ右側に新しい石碑が置かれていました。
前に来た時には気がつかなかったのか?
気がつかないはずはないので新しく建てたものだと思われます。
「息栖神社神績之碑」と彫られています。
この息栖神社が今から1200年以上前の西暦806年にもう少し東の日川からこの場所に移されてことを記念して1200年記念として建てたもののようです。(平成20年建立?)

前にも書いていますのでこの辺の事は詳しくは書きませんが、上の説明を読めば大体わかります。

そして右側に当時の地形が石に刻まれていました。
息栖神社の前は香取の海が広がっています。
たくさんの島のような地形です。
いまは常陸利根川と利根川が別々にあって真ん中に中州があります。
息栖=沖洲 というのもうなずけます。

神門は弘化4年(1847年)の造営。

元々の社殿は1722年に造られたものがあったが、昭和35年に火災で焼失してしまい今では立派な?コンクリート製です。



これは前にも載せた東国三社の位置関係です。
当時の地形を予測するために水面を5m程高くしています。
直角三角形は作られたものであることがわかります。
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東国三社といわれ、伊勢にお参りしてこの鹿島神宮・香取神宮・息栖神社を巡ると言うのも水運が発達していた江戸時代には盛んに行われていたようです。
でもこの息栖神社も行くには車でないと不便な場所で、バスで鹿島セントラルまで来ても歩いて2.5km程あるようです。
こちらは車ですからあまり気にはなりませんが、訪れる人も少ないのではないかと思います。

鳥居の脇には「東国三社息栖神社」という石碑が立っています。

またそのすぐ右側に新しい石碑が置かれていました。
前に来た時には気がつかなかったのか?
気がつかないはずはないので新しく建てたものだと思われます。
「息栖神社神績之碑」と彫られています。
この息栖神社が今から1200年以上前の西暦806年にもう少し東の日川からこの場所に移されてことを記念して1200年記念として建てたもののようです。(平成20年建立?)

前にも書いていますのでこの辺の事は詳しくは書きませんが、上の説明を読めば大体わかります。

そして右側に当時の地形が石に刻まれていました。
息栖神社の前は香取の海が広がっています。
たくさんの島のような地形です。
いまは常陸利根川と利根川が別々にあって真ん中に中州があります。
息栖=沖洲 というのもうなずけます。

神門は弘化4年(1847年)の造営。

元々の社殿は1722年に造られたものがあったが、昭和35年に火災で焼失してしまい今では立派な?コンクリート製です。



これは前にも載せた東国三社の位置関係です。
当時の地形を予測するために水面を5m程高くしています。
直角三角形は作られたものであることがわかります。


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