息栖神社(小美玉市)
ここのところ体調不良で思わしくブログもはかどりません。
先日キャノンのプリンタが突然故障しました。
使おうと電源を入れたら故障ランプで作動しません。修理依頼をしてくれとの表示。
たたいたりしてたら全く動かなくなりました。保証期間の過ぎたプリンタなど修理に出したら高くつくだけです。
ネットでとりあえず安い複合機を購入しました。
前のプリンタインクがまだ大分残っているんだけどこれがもったいない。
そういえばその前のプリンタのインクも残っていたし、まだ使えたプリンタだったけど何処に行ってしまったのか?
家内が間違って処分してしまったようです。インクジェットのプリンタは完全に消耗品ですね。
結構大量に印刷することもあったのでしょうがないのかもしれません。
さて、小美玉市(旧小川町)の茨城空港に近いところに息栖神社があります。
茨城県には10か所くらいは息栖神社と名のつく神社が存在するようです。(前に書いた茨城町にある息栖神社はこちら)
皆、川などの水際にあるようですが、ここは大分山の方に入っています。
しかし水面を6~7mくらい上昇させると近くまで霞ヶ浦の入江が伸びています。
そして霞ヶ浦沿いの地名は「沖洲」です。
前に紹介した行方市の「於岐部説神社」(記事はこちら)も比較的近いです。

今までこちらの道は通ったことはなかったのですが、地図を見て探して行ってきました。
この神社のすぐ隣に大きな地区の公民館が建っています。
参道入り口は通りの反対側(南側)から続いています。

参道入口の大きなケヤキ?の木の根元に道祖神でしょうか石の碑が置かれていますがこれに藁で屋根が付けられて守られていました。
信仰の深さを感じます。

参道はこのように右に曲がって社殿に向かっています。
右側の建物が地区の公民館(山野公民館)です。

鳥居の上に息栖神社の扁額が掲げられています。

この神社が鹿島神宮と関係が深いことがわかります。鹿島神宮の宮司の手書きのようです。

拝殿の造りはこの辺りでは良く見かける形です。

説明によれば元禄9年(1697年)の造営だったが、破損が激しくなったので昭和39年に修理をした。
その時に本殿は銅板葺きとし、拝殿は瓦葺きにしたのだそうです。
でもこの拝殿は瓦葺きなのかな?表面は別なもので覆っているのか。

上の説明によれば
祭神は岐神(ふなどのかみ)と天鳥船命の2神。これは神栖の息栖神社と同じ。
およそ540年前 応永年間(1394~1427年)に創立。
天文年間(1532~1555年)の頃 村内に火災あり、社殿もこの災に罹らんとす。
時にたまたま狗あり走りて心礼の池に入り身を浸し、社殿に至り身振ること数十百千度 ために全きを得たりと社殿の類焼を免れし神徳を 狗の功に託して・・・・・。
現在の社殿は元禄九年268年前の造営なり・・・・・。
良く読めませんが天狗が出てくる話がこんなところにもあったのかと不思議に思いますが、このような事が残っているのはうれしいです。
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先日キャノンのプリンタが突然故障しました。
使おうと電源を入れたら故障ランプで作動しません。修理依頼をしてくれとの表示。
たたいたりしてたら全く動かなくなりました。保証期間の過ぎたプリンタなど修理に出したら高くつくだけです。
ネットでとりあえず安い複合機を購入しました。
前のプリンタインクがまだ大分残っているんだけどこれがもったいない。
そういえばその前のプリンタのインクも残っていたし、まだ使えたプリンタだったけど何処に行ってしまったのか?
家内が間違って処分してしまったようです。インクジェットのプリンタは完全に消耗品ですね。
結構大量に印刷することもあったのでしょうがないのかもしれません。
さて、小美玉市(旧小川町)の茨城空港に近いところに息栖神社があります。
茨城県には10か所くらいは息栖神社と名のつく神社が存在するようです。(前に書いた茨城町にある息栖神社はこちら)
皆、川などの水際にあるようですが、ここは大分山の方に入っています。
しかし水面を6~7mくらい上昇させると近くまで霞ヶ浦の入江が伸びています。
そして霞ヶ浦沿いの地名は「沖洲」です。
前に紹介した行方市の「於岐部説神社」(記事はこちら)も比較的近いです。

今までこちらの道は通ったことはなかったのですが、地図を見て探して行ってきました。
この神社のすぐ隣に大きな地区の公民館が建っています。
参道入り口は通りの反対側(南側)から続いています。

参道入口の大きなケヤキ?の木の根元に道祖神でしょうか石の碑が置かれていますがこれに藁で屋根が付けられて守られていました。
信仰の深さを感じます。

参道はこのように右に曲がって社殿に向かっています。
右側の建物が地区の公民館(山野公民館)です。

鳥居の上に息栖神社の扁額が掲げられています。

この神社が鹿島神宮と関係が深いことがわかります。鹿島神宮の宮司の手書きのようです。

拝殿の造りはこの辺りでは良く見かける形です。

説明によれば元禄9年(1697年)の造営だったが、破損が激しくなったので昭和39年に修理をした。
その時に本殿は銅板葺きとし、拝殿は瓦葺きにしたのだそうです。
でもこの拝殿は瓦葺きなのかな?表面は別なもので覆っているのか。

上の説明によれば
祭神は岐神(ふなどのかみ)と天鳥船命の2神。これは神栖の息栖神社と同じ。
およそ540年前 応永年間(1394~1427年)に創立。
天文年間(1532~1555年)の頃 村内に火災あり、社殿もこの災に罹らんとす。
時にたまたま狗あり走りて心礼の池に入り身を浸し、社殿に至り身振ること数十百千度 ために全きを得たりと社殿の類焼を免れし神徳を 狗の功に託して・・・・・。
現在の社殿は元禄九年268年前の造営なり・・・・・。
良く読めませんが天狗が出てくる話がこんなところにもあったのかと不思議に思いますが、このような事が残っているのはうれしいです。


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