こんなところにもあった洋風建築(旧小川町)
大分前ですが国の登録文化財に指定されている土浦一校の旧校舎を紹介しました。(記事はこちら)
この土浦の校舎は明治37年に若き設計者駒杵勤治氏の手によるものだが、県の役人であったので公共施設が中心となっていて当時の旧制中学校舎や講堂、郵便局、役場などに同じ設計方が使われて残されています。
このブログでも昭和12年建築の笠間歴史民俗資料館(旧宍戸役場)(こちら)
一般の住宅としては明治35年建築の高部の間宮家(こちら)があり、石岡にも似た感じのものは残されている。(関東鉄道労働組合:こちら)
この壁板の色を浅黄色や肌色などにするとまた格別に輝くのはうれしいですね。

やはり窓は上下に開ける方式です。

この建物は旧小川町の中心部の安達石油さんの個人宅のようです。
隣はガソリンスタンドとなっています。
何時建てられたものかは書かれたものは見つかりませんでした。
明治後期から昭和初期の間の建築だろうと思われます。
← よろしければクリックお願いします。
この土浦の校舎は明治37年に若き設計者駒杵勤治氏の手によるものだが、県の役人であったので公共施設が中心となっていて当時の旧制中学校舎や講堂、郵便局、役場などに同じ設計方が使われて残されています。
このブログでも昭和12年建築の笠間歴史民俗資料館(旧宍戸役場)(こちら)
一般の住宅としては明治35年建築の高部の間宮家(こちら)があり、石岡にも似た感じのものは残されている。(関東鉄道労働組合:こちら)
この壁板の色を浅黄色や肌色などにするとまた格別に輝くのはうれしいですね。

やはり窓は上下に開ける方式です。

この建物は旧小川町の中心部の安達石油さんの個人宅のようです。
隣はガソリンスタンドとなっています。
何時建てられたものかは書かれたものは見つかりませんでした。
明治後期から昭和初期の間の建築だろうと思われます。


コメント