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手子后神社-(水戸市元石川町)

 神栖市の童子女(なうい)松原との関連がある手子后(てごさき)神社の紹介から、その他の茨城県にある手子后神社を探し、つながりを見たいと思っていました。

そして石岡市中津川の手子后(てごめ)神社を前回紹介しました。

さて残りの神社を探して行ってきましたのでこれから数回に分けてどんな所か紹介して行きたいと思います。

(今までの手子后神社については左のカテゴリーの一番下の「手子后神社」をクリックしてください。順番に読むことが出来ます。)

茨城県の手子后神社はわかっているだけですが次の5つです。とりあえず場所と祭神だけを記します。

1)手子后(てごさき)神社:神栖市波崎 祭神は手子比売命(てごひめのみこと)

2)手子后(てごめ)神社:石岡市中津川 祭神は奈美松霊と古津松霊(童子女松原に出てくる男女の霊)

3)手子后(てごさき)神社:水戸市元石川町 祭神は稚日孁尊(わかひるめのみこと)

4)手子后(てごさき)神社:水戸市田島町(内原) 祭神は手名椎命(宿魂石)

5)手子后(てごさき)神社:城里町(旧桂村)上圷 祭神の埴安姫命(はにやすひめのみこと)

では今回は3番目の水戸市元石川町の神社を紹介します。

6号国道の50号線との酒門交差点を東(大洗方面)に行くと水戸南ICにでる。
ここまでは片側2車線の広い道だが、そこを過ぎて少し行くと片側1車線の道になり車の量も極端に少なくなる。

この辺りは大洗から戻る時に数回通ったことがあるがその時は特に何も感じることもなかった。


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そして更に少し行ったところはもう商店街もなく住宅も少なくなり畑が広がる場所になる。
そんな中の左側の森が茂った辺りが手子后神社がある場所だが道は狭いので手前で車を止めて歩いていくことにした。

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家が点在し、両側が畑の中の道を進む。

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畑の向こうの機が茂っているところに神社の入口が見える。

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この場所まで車で入ることもできたようで、この神社正面を少し行ったところに駐車場もあった。
この手子后(てごさき)神社は思ったより大きな神社であった。

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祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)だという。
ここの神社は神栖市波崎(旧鹿島郡東下村羽崎)の手子后神社から分霊されたものといわれている。

でも祭神の稚日女尊は神戸の生田神社の祭神である。
日本書紀では高天原で機織りをしていた稚日女尊のところにスサノオが馬の皮を剥いだものを投げ入れたので、驚いて機から転げ落ち傷ついて死んでしまった。

古事記では女性のある部分を傷つけたとあるが・・・・。

若く瑞々しい日の女神ということなのだが、生田神社では天照大神の幼名を稚日女としているそうだ(wikipediaより)


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拝殿も立派な造りである。

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この狛犬も特徴のある興味深い姿です。吽型

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阿型。

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拝殿前から入口鳥居の方を振り返って見たところ。
木々が茂っていることがわかります。

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拝殿の手前右側に立派な蔵?が置かれていました。宝物館だそうです。

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この宝物館の中にはこの神社の残されていた古文書(350年ほど前からの文書で801点もある)が保管されているようです。
かなり貴重なもののようで、火災などで焼けずに残っているのも珍しいのでしょう。

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この本殿もかなり古いもののように見えます。調べて見ても良く分かりません。

この神社も神仏分離で円照寺という神宮寺があったそうです。元禄時代に阿弥陀寺と改称していたが、火災で焼失してしまい再建されずに六反田町の六蔵寺(六地蔵寺)に吸収されたと言うことです。

この神社の森の周りは窪地となっていて昔は水が入り込んでいたような地形です。
また神社の裏手には湧き水の出ていた場所もあるようで、後三年の役の八幡太郎一行がここに戦勝祈願してこの水で喉を潤したという話も残っているようです。



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手子后神社 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2014/04/19 19:45
コメント
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No title
先ほどのコメントをしたものです。あやまって「管理人の実に表示」としてしまいました。特に秘す必要はありませんでした。

これからも楽しく読まさせていただきます。

失礼致しました。
茨城出身サラリーマンさま
こんばんは。
コメントありがとうございます。

特に鍵コメではないそうですので記事を残させていただきます。
なかなか興味深いですが、この手子后神社のことを書かれているものの少ないようでしたので
気が付いて気になることを勝手に紹介させていただきましたが、こうして興味を持っていただけたことの感謝です。
これからもよろしくお願いします。

コメント内容につきましたは当方にあまり知見がないので参考にさせていただくのみで失礼します。

> 突然で失礼致します。
>
> 縁者が水戸市元石川の手子先神社の氏子のものです。
>
> その親戚の祖先は、茨城の旧瓜連にある「静神社」の神官の系図でして、佐竹時代末期の1600年あたりに現在の元石川に土着しております(佐竹一門の東義久の家臣でした。おそらく地頭、代官的なもの)。兄系統は秋田に移り(秋田藩士の系図とその親戚の家の系図板が完全一致)、親類はそのまま静神社周辺で神職や庄屋になり、水戸藩士にもなっています。
>
> で、あくまで口伝ですが、その一族が元石川の手子先神社の創建をした、と聞いておりました(現在の神主ではありません)。創建なのか、中興なのかはわかりません。あくまで口伝です。そこで「ん?」と思ったのですが、静神社とは「機織り」所縁の神様ですよね?元石川の手子先神社の祭神は機織りしていたんですよね?この辺に何かないでしょうか?
>
> そこで何のエビデンスもない推理ですが、元々、元石川(もとは原石川村)には手子先神社があって、そこに静神社所縁の私の親戚一族が地頭的にきたあたりで(元々祭神は女性神なので)機織り所以の現在の祭神に何となくなった、なんてのはないでしょうか?
>
> ちなみに、古墳との関係で言いますと、吉田古墳よりももっと近隣に古墳群があります。東北東の谷を越えた向こう側に。元石川古墳群です。
>
> 楽しく読ませていただき、且つ素人が邪説を失礼しました。

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