手子后神社-水戸市田島町
桜もほぼ散って、また寒さもぶり返して、体調も思わしくないのでこの土日は何処にも出かけず家の中に籠っていました。
ノンビリしたおかげで大分気分も戻ってきました。
童子女(うない)の松原からこの手子后(てごさき)神社を調べるうちに、この神社が何を祀っている神社なのかがわからなくなってきました。
もう少し全部を見て行ってから時間があれば考えて見たいと思います。
ただ5つの神社が私が何度も通い、今まで気になっていた土地に集中しているのです。
もしかしたら思い違いなのかもしれませんが・・・。
では今日は4番目の水戸市内原駅からあまり遠くない田島町にある手子后(てごさき)神社です。
この田島町はすぐ近くに大足(おおだら)とか牛伏(うしぶし)、木葉下(あぼっけ)などの気になる地名が集中する地域です。
また常陸国風土記で晡時臥山(くれふしやま)といわれる山とされる「朝房山」に近い場所です。
50号国道の内原のイオンモールの所の信号を北に入っていきます。
少し進むとすぐ左側に有賀神社(紹介記事はこちら)があり、その先を西に少し入ったところに先日紹介した「かたくりの里」(こちら)があります。
また、東側には舟塚古墳(こちら)があります。
その道を茨城県の難読地名にかならず出てくる木葉下(あぼっけ)方面に少し行くと左手に「くれふし古墳公園」(こちら)があり、たくさんの古墳群があります。
その古墳公園に曲がる道を反対方向の東側に曲がってそのまま平地の道を進んで少し登り坂になった辺りの右側にこの手子后神社がありました。
周りは畑や住宅が点在するまったくの平地で、何故このような場所にこの古いと思われる神社があるのか。少し不思議な感じがします。

まわりは畑の中の森という感じです。

入口に大正4年11月に建立された「奉祝御即位記念碑」と彫られた大きな石板が置かれています。

この神社については良く分からないが、祭神は手名椎命(てなづちのみこと)
この神はヤマタノオロシ退治でてくる足名椎命(あしなづちのみこと)とこの手名椎命夫婦の娘がクシナダヒメだ。

この場所も周りは古墳群であり、神社の近くにみな古墳があるのも興味深い場所です。

また、この神社は宿魂石を祀っているともいわるという。宿魂石については大甕神社(こちら1、こちら2)でかなり書いたのでこちらでは省略しよう。
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ノンビリしたおかげで大分気分も戻ってきました。
童子女(うない)の松原からこの手子后(てごさき)神社を調べるうちに、この神社が何を祀っている神社なのかがわからなくなってきました。
もう少し全部を見て行ってから時間があれば考えて見たいと思います。
ただ5つの神社が私が何度も通い、今まで気になっていた土地に集中しているのです。
もしかしたら思い違いなのかもしれませんが・・・。
では今日は4番目の水戸市内原駅からあまり遠くない田島町にある手子后(てごさき)神社です。
この田島町はすぐ近くに大足(おおだら)とか牛伏(うしぶし)、木葉下(あぼっけ)などの気になる地名が集中する地域です。
また常陸国風土記で晡時臥山(くれふしやま)といわれる山とされる「朝房山」に近い場所です。
50号国道の内原のイオンモールの所の信号を北に入っていきます。
少し進むとすぐ左側に有賀神社(紹介記事はこちら)があり、その先を西に少し入ったところに先日紹介した「かたくりの里」(こちら)があります。
また、東側には舟塚古墳(こちら)があります。
その道を茨城県の難読地名にかならず出てくる木葉下(あぼっけ)方面に少し行くと左手に「くれふし古墳公園」(こちら)があり、たくさんの古墳群があります。
その古墳公園に曲がる道を反対方向の東側に曲がってそのまま平地の道を進んで少し登り坂になった辺りの右側にこの手子后神社がありました。
周りは畑や住宅が点在するまったくの平地で、何故このような場所にこの古いと思われる神社があるのか。少し不思議な感じがします。

まわりは畑の中の森という感じです。

入口に大正4年11月に建立された「奉祝御即位記念碑」と彫られた大きな石板が置かれています。

この神社については良く分からないが、祭神は手名椎命(てなづちのみこと)
この神はヤマタノオロシ退治でてくる足名椎命(あしなづちのみこと)とこの手名椎命夫婦の娘がクシナダヒメだ。

この場所も周りは古墳群であり、神社の近くにみな古墳があるのも興味深い場所です。

また、この神社は宿魂石を祀っているともいわるという。宿魂石については大甕神社(こちら1、こちら2)でかなり書いたのでこちらでは省略しよう。


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