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手子后神社-城里町上圷

 今日は茨城県に5か所ある手子后(てごさき)神社の5番目として城里町上圷の神社を紹介します。

ここは旧桂村の粟地区に近いところで前から何度も訪れている場所です。

今年1月には春慶塗りの粟野春慶を紹介した(こちら)場所の近くです。

石岡からは石塚街道を終点の石塚(城里町)に行くとここは中世の石塚城があった場所で、街道はこの高台から一気に落ちるような感じで下の平地に下ります。

この下りた場所が「圷(あくつ)」です。
圷は字のごとく山の下の方の地名であり塙(はなわ)の対義語といわれるが、どうもこれは少し違う気がする。

茨城には「圷(あくつ)」という地名と「小塙(こばな)」という地名がたくさんある。

小塙は少し山のように盛り上がった場所が多く、圷は低地だが湿地帯(または川べり)が多いようだ。
必ずしも2つの語は対になっていない。

アクツはおそらくアイヌ語由来ではないかと思う。

関東から北にアクツ、アクト、アクタなどと読む地名が点在している。
私はアテルイのことを悪路王というのとどこかでつながっているように感じている。

この場所の近くに悪路王の首を奉納したと言われる鹿島神社(記事はこちら)があるのです。


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この上圷の手子后(てごさき)神社は、この街道から少し那珂川寄りの場所にある。
曲がり角には地図(MAPFAN)には下圷館跡と書かれた場所がある。

鳥居の脇には「村社手子后神社」と書かれている。

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鳥居から木々に覆われた長い参道が伸びている。

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正面に拝殿と社務所らしき建物がある。

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こちらは左手にあった建物。社務所なのか? それとも神楽殿のような役割をしたものなのか?

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正面が拝殿。右側は祭りの収納庫?

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神社の額の横に干支の午をかざっています。
この神社がどのような神様を祭るかが良く分からないのではないかと思われます。

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本殿。出雲系でしょうか。
この神社は創建は大同二年(807)だとされます。これは多くの神社が同じ年代です。

坂上田村麻呂の蝦夷征伐で戦勝祈願をしたとの言い伝えが残されているそうです。

この手子后神社は昔は「手子木崎神社」と言っていたそうです。
祭神は埴安姫命(はにやすひめのみこと)だといいます。

この神社を調べていたら面白い事が書かれていました。

埴安姫命が土をつかさどる神であるので土を焼く瓦はこの地区では使わなかったそうです。(セメント瓦を使う)

またこの地区には松の木を植えないと言う言い伝えがあるのだとか。

理由は埴安姫命が松の葉で眼を突き怪我したために松の木を切ったと言われたのだとか・・・。

でもこれは神栖市の手子后神社が松(古津松)になった安是の嬢子の話がどこかでこんな話に置き換わってしまったものかもしれません。


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旧桂村のマンホールのフタ。村の鳥(うぐいす)、村の木(かつら)、村の花(かんな)が描かれています。
市町村合併で今は城里町ですからそのうちに変わってしまうのでしょうか。



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手子后神社 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/04/21 20:25
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