府馬の大クス(2)
樹齢1300年~1500年といわれる府馬の大クスを紹介していますが、私がここを紹介したくなったのはこの大木の裏にある広場にある展望台からの眺めが気にいったからです。

この大木の裏手は広い公園になっていて、遊具はありませんが一つの展望台がおかれています。

展望台から下を見下ろすと広々とした田んぼが広がっています。
「麻績千丈ヶ谷」と呼ばれる昔は海?であった広い谷が広がっていたのです。
江戸時代頃から干拓がすすみ、稲作が行われ、大切なお米の生産が行われてきたようです。

昨日の記事にYAHOOの地図を載せていますが、同じところをFloodMapsで海面の高さを+5mとした地図を下に載せます。

昔、香取の海とか○○の流れ海などといわれた現在の霞ヶ浦を含む内海は現在の霞ヶ浦の約2倍の大きさがありました。
特に利根川の東遷によりかなり地形も変わり、この辺りも昔海であった場所のほとんどが農地となり水田が広がっています。
この「麻績(おみ?)千丈ヶ谷」といわれるのは昔は海だが、その後谷のようになったところに川(黒部川)が流れいた頃の地形であろう。
そこの場所が江戸時代には水田地として開拓が進んだのだろう。
近くにある大原幽学の記念館(こちらもまた明日にでも紹介します)なども新しい農業指導の拠点だったようだ。
依然訪れた阿玉台貝塚があまりに山の中にあるので何でこんな場所に貝塚があるのかと思ったが、縄文時代には内海で生活するにはとてもよい場所だったのかもしれない。
この地形を思い描くにもこの展望台に登るのがよさそうだ。
FloodMaps(こちらの地図)
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この大木の裏手は広い公園になっていて、遊具はありませんが一つの展望台がおかれています。

展望台から下を見下ろすと広々とした田んぼが広がっています。
「麻績千丈ヶ谷」と呼ばれる昔は海?であった広い谷が広がっていたのです。
江戸時代頃から干拓がすすみ、稲作が行われ、大切なお米の生産が行われてきたようです。

昨日の記事にYAHOOの地図を載せていますが、同じところをFloodMapsで海面の高さを+5mとした地図を下に載せます。

昔、香取の海とか○○の流れ海などといわれた現在の霞ヶ浦を含む内海は現在の霞ヶ浦の約2倍の大きさがありました。
特に利根川の東遷によりかなり地形も変わり、この辺りも昔海であった場所のほとんどが農地となり水田が広がっています。
この「麻績(おみ?)千丈ヶ谷」といわれるのは昔は海だが、その後谷のようになったところに川(黒部川)が流れいた頃の地形であろう。
そこの場所が江戸時代には水田地として開拓が進んだのだろう。
近くにある大原幽学の記念館(こちらもまた明日にでも紹介します)なども新しい農業指導の拠点だったようだ。
依然訪れた阿玉台貝塚があまりに山の中にあるので何でこんな場所に貝塚があるのかと思ったが、縄文時代には内海で生活するにはとてもよい場所だったのかもしれない。
この地形を思い描くにもこの展望台に登るのがよさそうだ。
FloodMaps(こちらの地図)


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