大原幽学遺跡(1)
昨日の千葉県香取市にある府馬の大クスから少し旭市の方に行ったところに「大原幽学遺跡」と書かれた国の遺跡があるので立寄ることにした。
大原幽学(ゆうがく)という人については残念ながらあまり知らない。
Wikipediaによると
「寛政9年3月17日(1797年4月13日) - 安政5年3月8日(1858年4月21日))は、江戸時代後期の農政学者、農民指導者。下総国香取郡長部(ながべ)村(後の千葉県香取郡干潟町、現在の旭市)を拠点に、天保9年(1838年)に先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した。」
と書かれている。
江戸後期の農学者で農協の創設者のようだ。

府馬の大クスの場所から南の方に進むと県道沿いに案内板があった。
そこから畑の間のような道を通り、山道を抜けてどんどん進むと、山を下ったところで水田が開けた場所に出た。

その一角に白い大きな建物が見えた。 これが大原幽学記念館ど。

大原幽学は尾張(現名古屋)の生まれで、江戸時代に混乱した時代にこの房総の長部(ながべ)村を中心に農村改革指導をおこなったという。
(記念館のHPはこちら)
この記念館の1Fには「椿海(つばきのうみ)」の干拓事業で干潟八万石と言われるようになった郷土資料の展示がなされ、2Fではこの大原幽学に関係する資料が展示されているそうです。
でも何でこんな田舎にこれほど立派な施設があるのかと不思議に思ったが、農協を始めて造った人と知って少し納得。

記念館は有料で今回時間もなかったのでパスしてその先に進むとすぐ左側に大きな藁葺の屋敷が保存されていた。
江戸時代の天保年間に大原幽学の指導を受けて建築したという林家住宅。
住居があったのはJR旭駅近くの少し南側である。
旭駅とこの幽学記念館のある場所との間にも昔は大きな内海が広がっていた。
しかしそれも次第に海とは切り離されて大きな湖になっていたようだ。
ここを江戸時代に干拓したのだろう。

ちょっと農家の家とは思えない立派な家である。
機能的な工夫もされている。


ここに来てやはり干拓されたと言う「椿海」が気になりやはりFloodMaps で海面を+5mした地図を眺めて見た。

上に現われた大きな湖が「椿海(つばきのうみ)」であるようだ。
ここに伝わる話が面白いので残しておきたい。
「昔、この地に邪神が住む椿の大木があり、香取神宮がこれを東方の海中に椿の木ごと放逐したところ、その跡地に水が溜まって海になったという伝説があるが、当時の玉の浦の入り江が犬吠埼方面からの砂洲の形成によって出口を塞がれできた湖である。」(Wikipediaより)
この湖が江戸時代まであったがここを江戸後期に干拓して水田が出来あがったようだ。
いろいろ調べて見ると面白いものだ。
この大原幽学遺跡は結構広いので明日もう少し紹介します。
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大原幽学(ゆうがく)という人については残念ながらあまり知らない。
Wikipediaによると
「寛政9年3月17日(1797年4月13日) - 安政5年3月8日(1858年4月21日))は、江戸時代後期の農政学者、農民指導者。下総国香取郡長部(ながべ)村(後の千葉県香取郡干潟町、現在の旭市)を拠点に、天保9年(1838年)に先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した。」
と書かれている。
江戸後期の農学者で農協の創設者のようだ。

府馬の大クスの場所から南の方に進むと県道沿いに案内板があった。
そこから畑の間のような道を通り、山道を抜けてどんどん進むと、山を下ったところで水田が開けた場所に出た。

その一角に白い大きな建物が見えた。 これが大原幽学記念館ど。

大原幽学は尾張(現名古屋)の生まれで、江戸時代に混乱した時代にこの房総の長部(ながべ)村を中心に農村改革指導をおこなったという。
(記念館のHPはこちら)
この記念館の1Fには「椿海(つばきのうみ)」の干拓事業で干潟八万石と言われるようになった郷土資料の展示がなされ、2Fではこの大原幽学に関係する資料が展示されているそうです。
でも何でこんな田舎にこれほど立派な施設があるのかと不思議に思ったが、農協を始めて造った人と知って少し納得。

記念館は有料で今回時間もなかったのでパスしてその先に進むとすぐ左側に大きな藁葺の屋敷が保存されていた。
江戸時代の天保年間に大原幽学の指導を受けて建築したという林家住宅。
住居があったのはJR旭駅近くの少し南側である。
旭駅とこの幽学記念館のある場所との間にも昔は大きな内海が広がっていた。
しかしそれも次第に海とは切り離されて大きな湖になっていたようだ。
ここを江戸時代に干拓したのだろう。

ちょっと農家の家とは思えない立派な家である。
機能的な工夫もされている。


ここに来てやはり干拓されたと言う「椿海」が気になりやはりFloodMaps で海面を+5mした地図を眺めて見た。

上に現われた大きな湖が「椿海(つばきのうみ)」であるようだ。
ここに伝わる話が面白いので残しておきたい。
「昔、この地に邪神が住む椿の大木があり、香取神宮がこれを東方の海中に椿の木ごと放逐したところ、その跡地に水が溜まって海になったという伝説があるが、当時の玉の浦の入り江が犬吠埼方面からの砂洲の形成によって出口を塞がれできた湖である。」(Wikipediaより)
この湖が江戸時代まであったがここを江戸後期に干拓して水田が出来あがったようだ。
いろいろ調べて見ると面白いものだ。
この大原幽学遺跡は結構広いので明日もう少し紹介します。


これはまた、実に立派な茅葺き屋根ですね。庭が無いのが残念ですが、本当の豪農屋敷ですね。
大原幽学という方は、まったく知りませんでした。
> これはまた、実に立派な茅葺き屋根ですね。庭が無いのが残念ですが、本当の豪農屋敷ですね。
移築したので昔の農家という雰囲気ではないですね。
なんとなく庭などが違うと昔の生活感が感じられないのが残念です。
> 大原幽学という方は、まったく知りませんでした。
私も全く知らなかったですよ。(笑) でも立派な建物や施設で驚きました。
> 旭市の内陸部に湖があったんですね。
前に阿玉台貝塚に行った時あまりに山の上の方で内陸だったので地形が気になっていました。
例のFloodMapsでくっきりと湖も浮かびだすので面白いです。
この地形を知るとこれらの干拓物語がわかるようになるし、興味もあまりなかった天保水滸伝もなんとなくわかるようになりました。
> 過疎になってくると、こういう記憶も失われてしまします。
確かにそうですね。まだ想像が出来るうちにいろいろ訪ねて見たい気もします。