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大原幽学遺跡(2)

江戸時代の農学者「大原幽学」の遺跡を保存している千葉県旭市の施設を紹介しています。

世界で初めて農協のような組織を作ってこの場所に教習所などを建て多くの人を指導したようです。

天保水滸伝などにも登場すると言いますが、三波春夫の歌に登場した平手造酒をどうにか覚えているくらいで、ほとんど記憶にありません。

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この天保時代に造られたと言う大原幽学の旧宅が残されています。
屋根は藁葺から銅版葺きに変更されていますが、内部の造りなどが参考になります。

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なかなかこの史跡の敷地は広く、裏山も散策でき、若葉がまぶしく輝いていました。

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門人たちの宿泊教習所の施設があったようです。
寺などではなくこのような大きな施設は当時珍しかったのではないでしょうか。

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改心楼などと呼ばれた教習所があったようですが、なかなか難しいですね。

Wikipediaによれば、
「嘉永5年(1852年)、反感を持つ勢力が改心楼へ乱入したことをきっかけに村を越えた農民の行き来を怪しまれ勘定奉行に取り調べられる。安政4年(1857年)に押込百日と改心楼の棄却、先祖株組合の解散を言い渡される。」

となっています。5年も続いた裁判で傷心して幽学は切腹したのだそうです。

大原幽学は、農村改革の方針の中に「博打の禁止」を含めていた。
それによって、天保水滸伝に名を残している親分である飯岡助五郎一家や笹川繁蔵一家からたびたび博打を大目に見るよう直談判を受けたり、嫌がらせを受けたりしていたという。

幽学が自殺する原因の一つとなったこの改心楼に博徒が乱入した事件は、飯岡助五郎の兄弟分である松岸の半次が起こしたものであったといわれているとのこと。

それにしても「飯岡」「笹川」「松岸」など今でも地名でしっかり残っている。

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大原幽学を祀る神社を敷地内に建てようとしたようですが、許可にならず「大原聖殿」の名称になったようです。

神社拝殿と同じつくりで、裏に本殿も作ったようですがこちらは取り壊されてのでしょう。

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この山の中にある広い敷地ですが、きれいに管理されていました。

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旭市 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/05/12 20:51
コメント
No title
今晩は・・・<(_ _)>。
Roman様。
大原幽学を知らなかったです・・・。
あの時代の中で、大きな偉業と言える仕事を生み出すのは、きっと、大変だと思います・・・。
話は、変わりますが、住まいも素敵ですね・・・豪農と言える様な佇まいと庭が、綺麗ですし此処の地をゆっくりと歩いて見たくなりました・・・。
Romanさん、何時も取材ご苦労さまです・・・。
閉めになりますが、Romanさんをはじめ皆様お身体御自愛の程お過ごし下さい・・・。
それでは・・・v-22
たまこ様
何時もありがとうございます。

> 大原幽学を知らなかったです・・・。

私も知らなかったです。
今日も旭市の中の道を通ったのですが、あちこちにこの史跡への案内看板を見かけました。
やはり国の史跡に登録されているのでこちらでは有名なようです。

お近くに行く機会があればお立ち寄りください。見ごたえもあります。

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