久保神社(香取市)
先日紹介した「府馬の大くす」と「阿玉台貝塚」の麓に近いところに気になる神社があった。
名前は「久保神社」とありふれたような名前なのだが、この久保というのはおそらくこの辺りが昔谷の窪地になっていて「窪神社」が「久保神社」になったものと思われる。
場所は窪地の少し高台となった場所だ。
創建は平安時代の長徳元年(995年)と伝えられる。
祭神は高皇産霊神で、に陰陽師の安倍晴明が諸国巡視の折、 疫病救済のために勧請したと伝えられているという。
また昔は「大六王宮」と呼ばれていたようです。
(写真はクリックすると拡大します)

案内に従って、麓の部落から狭い脇道を登ります。
でも100~200mくらいで神社前の空き地に車が止められました。




この本殿は嘉永5年(1852)の建立です。

この神社の近くに神社の別当であった光明山最勝院という寺があったそうですが、今は廃寺となり無くなったそうです。
でもこの神社と寺の両者を行き来する祭礼(神幸行列)の様子を描いた絵巻物(彩色)(香取市文化財)が残されているそうです。
神仏混合を示すものとして注目されています。
この絵巻物を見ると石岡で行われているお祭りの神幸祭で行われている供奉行列とよく似ています。
こんなものを真似したのでしょうか。
名前は「久保神社」とありふれたような名前なのだが、この久保というのはおそらくこの辺りが昔谷の窪地になっていて「窪神社」が「久保神社」になったものと思われる。
場所は窪地の少し高台となった場所だ。
創建は平安時代の長徳元年(995年)と伝えられる。
祭神は高皇産霊神で、に陰陽師の安倍晴明が諸国巡視の折、 疫病救済のために勧請したと伝えられているという。
また昔は「大六王宮」と呼ばれていたようです。
(写真はクリックすると拡大します)

案内に従って、麓の部落から狭い脇道を登ります。
でも100~200mくらいで神社前の空き地に車が止められました。




この本殿は嘉永5年(1852)の建立です。

この神社の近くに神社の別当であった光明山最勝院という寺があったそうですが、今は廃寺となり無くなったそうです。
でもこの神社と寺の両者を行き来する祭礼(神幸行列)の様子を描いた絵巻物(彩色)(香取市文化財)が残されているそうです。
神仏混合を示すものとして注目されています。
この絵巻物を見ると石岡で行われているお祭りの神幸祭で行われている供奉行列とよく似ています。
こんなものを真似したのでしょうか。
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