久保神社(香取市)(2)
一昨日書いた久保神社だが、こんな場所を訪れる人は少ないだろう。
大分内陸に入ったところであるし、特別な興味をそそられるようなところでもない。
もちろん神社の名前も平凡だ。それなのに何か気になる。
そこで、先日書いたこの神社にノこされている祭礼の行列絵巻を少しアーカイブからお借りして下記に示す。
絵巻を数枚に分けたものを適当につなげて見た。
パソコンで見ておられたらクリックして拡大して見てほしい。

行列の先頭は猿田彦で天狗の格好をしている。
その後ろを貴族?法螺貝を吹いているようにも見えるし、刀を差した武士かもしれない。
この辺は石岡のお祭りと変わらない。猿田彦に続くのは四神旗や祭礼委員会、氏子会長などだ。
(昔書いたこちらの記事や写真を参照)
異なるのはその後ろに僧侶の列が続く事だ。
僧侶が供奉行列をするのは行方市の西蓮寺の仏立て(常行三昧会)がある。
こちらも前に書いた(こちら)
この久保神社の行列絵巻は確かに神仏一体である。
神社は昔、神仏を分けろと命令されて神社の境内などに神宮寺を建て、神・仏を分離した。
しかし、このように祭りや儀式を一体にやっていたのかもしれない。興味深い。
そしてこう一つこの寺は「大六天宮」と呼ばれており、陰陽師の安倍晴明の話が伝わることだ。
大六天(第六天)は仏教の修行を妨げる魔王であり、他化自在天(たけじざいてん)ともいわれ、人の欲をみな吸い取ってしまう魔王だ。
織田信長が自分を第六天魔王と称したとして知られている。
Wikipediaによれば
「第六天神社は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代の第6代の面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)に祭神を変更した」
と書かれている。
この久保神社も神仏習合の性格を持つ神社として創建された第(大)六天神社が、明治の神仏分離により天照大神とともに高天原の至上神である「高皇産霊神」を祀る神社となったものと思われる。
これは牛頭天王を祀る全国の天王社(寺)(総本山は津島)の多くが、同じ祇園祭を行っている八坂神社に名前を変えて、今でも多くの街で祇園祭を行っているのと構図は同じだ。
明治の神仏分離令が結果的に廃仏毀釈となり、多くの寺が壊されてしまい、今ではその前の事が想像しづらくなってしまったため、このような今の神社で行われている供奉行列が神仏一体で行われていたのは想像できなくなっているのでしょう。
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大分内陸に入ったところであるし、特別な興味をそそられるようなところでもない。
もちろん神社の名前も平凡だ。それなのに何か気になる。
そこで、先日書いたこの神社にノこされている祭礼の行列絵巻を少しアーカイブからお借りして下記に示す。
絵巻を数枚に分けたものを適当につなげて見た。
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行列の先頭は猿田彦で天狗の格好をしている。
その後ろを貴族?法螺貝を吹いているようにも見えるし、刀を差した武士かもしれない。
この辺は石岡のお祭りと変わらない。猿田彦に続くのは四神旗や祭礼委員会、氏子会長などだ。
(昔書いたこちらの記事や写真を参照)
異なるのはその後ろに僧侶の列が続く事だ。
僧侶が供奉行列をするのは行方市の西蓮寺の仏立て(常行三昧会)がある。
こちらも前に書いた(こちら)
この久保神社の行列絵巻は確かに神仏一体である。
神社は昔、神仏を分けろと命令されて神社の境内などに神宮寺を建て、神・仏を分離した。
しかし、このように祭りや儀式を一体にやっていたのかもしれない。興味深い。
そしてこう一つこの寺は「大六天宮」と呼ばれており、陰陽師の安倍晴明の話が伝わることだ。
大六天(第六天)は仏教の修行を妨げる魔王であり、他化自在天(たけじざいてん)ともいわれ、人の欲をみな吸い取ってしまう魔王だ。
織田信長が自分を第六天魔王と称したとして知られている。
Wikipediaによれば
「第六天神社は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代の第6代の面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)に祭神を変更した」
と書かれている。
この久保神社も神仏習合の性格を持つ神社として創建された第(大)六天神社が、明治の神仏分離により天照大神とともに高天原の至上神である「高皇産霊神」を祀る神社となったものと思われる。
これは牛頭天王を祀る全国の天王社(寺)(総本山は津島)の多くが、同じ祇園祭を行っている八坂神社に名前を変えて、今でも多くの街で祇園祭を行っているのと構図は同じだ。
明治の神仏分離令が結果的に廃仏毀釈となり、多くの寺が壊されてしまい、今ではその前の事が想像しづらくなってしまったため、このような今の神社で行われている供奉行列が神仏一体で行われていたのは想像できなくなっているのでしょう。


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