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(松沢)熊野神社(旭市)

 香取市小見川から府馬の大くすを経て、県道28号線をそのまま旭市の九十九里方面に車を走らせました。

それは小見川側も昔は海で大きな低地が今は水田などが広がり、府馬の大クスや大原幽学などの場所は小山になっているが、この道も旭市側でまた昔大きな湖(椿海)が広がっていたのを地形的に確認したいと思ったことにありました。
また「椿海」は「太田ノ胡水」とも呼ばれ、太田地区を中心にした地域であり、太田神社がどんな所かを見たいと思ったbのです。

幽学の場所からしばらく行くと坂を下って旭市の街中に向かって下っていきます。

その下る手前の高台に大きな鳥居が見えました。気になって立寄って見ました。

熊野神社となっています。熊野信仰が盛んであった頃にできたものと考えたのですが、結構古くて大きな神社です。

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雨が降ったりやんだりの生憎の天気。でもこの時は降っておりませんでした。

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社務所もあり、神楽殿もある比較的大きな神社です。

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大同元年の創建といわれる神社の一つであるようです。
最初に建てられたのはどうやらもう少し九十九里に近い「三川浦」で、955年にこの地に移ったとされています。
三川は飯岡の少し南側です。

どうやらこの辺りが東国への進出の拠点であったのかもしれません。
後でもまた全体の地形を考察してみたいと思います。

私には栗山、屋形、匝瑳、三川、飯岡など気になるところです。

この説明では「松沢荘(まつざわのしょう)」はこの旭市清和乙の当たりの荘園のようです。
この清和(せいわ)甲、乙などという地名も気になるところです。

清和は清和源氏からこの名前となったのでしょうか?

この神社も鎌倉時代に武士の信仰が厚かったようです。

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神楽殿

千葉県指定無形民俗文化財 熊野神社の神楽
 毎年3月21日熊野神社の神楽殿、拝殿で演じられる神楽である。
 かつては社家によって演じられたが、明治以後は氏子によって行われるようになり、現在は保存会を結成してその伝承につとめている。
 当日は旧神官宅でお祓いを受け、神楽殿で、猿田彦による露払いに始まり、素戔嗚尊(スサノオ)による七五三切りで終わる。囃子には笛、鋲打ち太鼓・締太鼓が用いられる。この神楽は元禄年間に現在のようにまとめられたといわれる。
 仮面神による一人舞を基本とし、太太神楽の古格をよく保存するとともに、独特の郷土色が加わった、きわめて地方的特色をもつ神楽である。  (現地の案内板)

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市指定有形民俗文化財「熊野神社の女男石」 昭和52年4月12日指定
 言い伝えによると、昔、三川の浜に、ある朝こつぜんと二個の石が打ち上げられた。陰陽の形をしており、かつて権現様(熊野神社)があらわれた地であることから、神の石として、三川から当地に運び安置されたといわれている。以来、この石は女男石、または縁結びの石として信仰されている。また、石の頭に酒を注いで、こぼれずに染み込めば願いが叶えられる酒呑石ともよばれている。
(現地の案内板による)

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2011年に行われた13年に1度の式年神幸祭については、東日本大震災で津波が海岸を襲い、被害をこうむった後だったので規模を縮小して行ったそうです。

この熊野神社の場所は昔、椿の海を見下ろす場所であったことは明らかです。
今の旭市の街中などは大きな湖が広がっていたのでしょう。

また近くに「脇鷹神社(そばたかじんじゃ)」があったのですが、気が付きませんでした。
今度時間があれば見てきたいと思います。



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旭市 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/05/18 19:39
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