玉崎神社(1)
千葉県旭市の九十九里浜の北端に下総国二の宮である「玉崎神社」がある。
下総国一の宮は香取神宮だが、この下総二の宮の玉崎神社の九十九里浜の反対側である南端には上総国一の宮の玉前神社(たまさきじんじゃ)がある。
こちらの玉崎神社の崎の字は本当は「﨑」であるようだがここでは一般的に使われている「崎」の字を使うことにする。
この神社はこの下総の地における重要な神社であると思いやってきました。
ただ時間もなくあわただしくて、もう少しゆっくりとみたかったと思います。

旭市飯岡の海岸に近い低地にあるので、東日本大震災の時の津波はこの神社の境内まで押し寄せたと言われていますが神社は無事なようでした。
中世までは、龍王崎(玉の浦:九十九里浜の東端・玉ヶ崎)の地にあっ たが、天文年間(1532~1555年)に兵燹に邁い、また積年の海浸を 避けるため、現在地に渡座したと伝えられる。

神社のHPによると主神は玉依毘売命(たまよりひめのみこと)で、配祀として日本武尊を祀っています。
海神の娘で、神武天皇の母とされています。
この九十九里浜は昔はどのような場所だったのでしょうか。
上総の地と下総の地を分けるのはどのような関係からなのでしょうか。



「拝殿」:嘉永5年(西暦1852年)再建
江戸の後期にはこの飯岡の漁港では鰯が大漁で非常に活気があったと言う。
この海の安全を願うこの神社もこれらの漁業関係者からの百両の寄進があり、再建されたもの。
正面に千鳥破風を設けており、外部四隅の柱上部には、阿吽の唐獅子の彫刻を、向拝正面には親子龍、向拝の柱上部には飛龍の籠彫りを配している。(神社HPより)


こらら一連の雄渾な彫り物は、江戸時代末期当地が生んだ名工石田丹治栄貞の力作である。拝殿向拝の親子龍及び飛龍、拝殿四隅の唐獅子を始め殿内外の彫刻は、丹治40代の作である。(神社HPより)
さあこの神社はもう少し掘り下げなければ良く分かりません。
明日に続きます。
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下総国一の宮は香取神宮だが、この下総二の宮の玉崎神社の九十九里浜の反対側である南端には上総国一の宮の玉前神社(たまさきじんじゃ)がある。
こちらの玉崎神社の崎の字は本当は「﨑」であるようだがここでは一般的に使われている「崎」の字を使うことにする。
この神社はこの下総の地における重要な神社であると思いやってきました。
ただ時間もなくあわただしくて、もう少しゆっくりとみたかったと思います。

旭市飯岡の海岸に近い低地にあるので、東日本大震災の時の津波はこの神社の境内まで押し寄せたと言われていますが神社は無事なようでした。
中世までは、龍王崎(玉の浦:九十九里浜の東端・玉ヶ崎)の地にあっ たが、天文年間(1532~1555年)に兵燹に邁い、また積年の海浸を 避けるため、現在地に渡座したと伝えられる。

神社のHPによると主神は玉依毘売命(たまよりひめのみこと)で、配祀として日本武尊を祀っています。
海神の娘で、神武天皇の母とされています。
この九十九里浜は昔はどのような場所だったのでしょうか。
上総の地と下総の地を分けるのはどのような関係からなのでしょうか。



「拝殿」:嘉永5年(西暦1852年)再建
江戸の後期にはこの飯岡の漁港では鰯が大漁で非常に活気があったと言う。
この海の安全を願うこの神社もこれらの漁業関係者からの百両の寄進があり、再建されたもの。
正面に千鳥破風を設けており、外部四隅の柱上部には、阿吽の唐獅子の彫刻を、向拝正面には親子龍、向拝の柱上部には飛龍の籠彫りを配している。(神社HPより)


こらら一連の雄渾な彫り物は、江戸時代末期当地が生んだ名工石田丹治栄貞の力作である。拝殿向拝の親子龍及び飛龍、拝殿四隅の唐獅子を始め殿内外の彫刻は、丹治40代の作である。(神社HPより)
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