玉崎神社(4)-平田篤胤
昨日の「天の石笛」で平田篤胤の事を書きましたが、神社の境内に平田篤胤の歌碑が置かれています。
その場所が変っています。

何処に置かれていると思いますか?

磐楠(いわくす)に 常磐(ときわ)の松の より副(そ)ひて
千世を契りし ことの畏(かしこ)さ
この歌は、夫婦木と称し、楠の大樹に松の木がくっついた御神木を、文化13年(西暦1816年)5月、篤胤が当神社に参詣した際に仰ぎ見て、たいそう感激され、これは御神威によるところであると詠んだものです。
この歌碑は歌に詠まれている楠の大樹のご神木が倒れて無くなった後に門人たちが建てたと言われていますが、この神社本殿の真後ろです。
周りを飯岡石の塀が取り囲んでいますが、本殿の真後ろは後戸の神のいる場所だと思うのですが・・・・。
この神社は平田篤胤もご神体として祀っているのかもしれません。
歌碑などは境内にはよくありますが、本殿の真後ろの真ん中に置かれているのは始めて見ました。

この神社は平田篤胤もご神体として祀っているのかもしれません。
歌碑などは境内にはよくありますが、本殿の真後ろの真ん中に置かれているのは始めて見ました。

神社拝殿入口の石鉢も六角形です。これも神道の関係なのでしょうか。
こんなところも気になります。
この平田篤胤が天狗小僧寅吉の事を書いた「仙境異聞」に書かれた笠間市(愛宕神社裏の)飯綱神社の十三天狗の祠が守っている本殿は六角形であり、のっている台座も亀の甲羅をかたどった六角形の石の上です。
(記事はこちら)
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その場所が変っています。

何処に置かれていると思いますか?

磐楠(いわくす)に 常磐(ときわ)の松の より副(そ)ひて
千世を契りし ことの畏(かしこ)さ
この歌は、夫婦木と称し、楠の大樹に松の木がくっついた御神木を、文化13年(西暦1816年)5月、篤胤が当神社に参詣した際に仰ぎ見て、たいそう感激され、これは御神威によるところであると詠んだものです。
この歌碑は歌に詠まれている楠の大樹のご神木が倒れて無くなった後に門人たちが建てたと言われていますが、この神社本殿の真後ろです。
周りを飯岡石の塀が取り囲んでいますが、本殿の真後ろは後戸の神のいる場所だと思うのですが・・・・。
この神社は平田篤胤もご神体として祀っているのかもしれません。
歌碑などは境内にはよくありますが、本殿の真後ろの真ん中に置かれているのは始めて見ました。

この神社は平田篤胤もご神体として祀っているのかもしれません。
歌碑などは境内にはよくありますが、本殿の真後ろの真ん中に置かれているのは始めて見ました。

神社拝殿入口の石鉢も六角形です。これも神道の関係なのでしょうか。
こんなところも気になります。
この平田篤胤が天狗小僧寅吉の事を書いた「仙境異聞」に書かれた笠間市(愛宕神社裏の)飯綱神社の十三天狗の祠が守っている本殿は六角形であり、のっている台座も亀の甲羅をかたどった六角形の石の上です。
(記事はこちら)


そうらしいですね。
まあ吉田松陰神社当たりならなんとなくわかるけど、これも信奉者がかなりいるようです。
確かに何でも神様というにはやりすぎのようでもある気がしますね。