田一反

 旭市清滝の龍福寺入口街道(県道73号線)近くに「春日神社」というこじんまりした神社がある。

この神社の境内に変わった奉納石碑が置かれていた。

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この県道73号線の東は山となっていて龍福寺があるが、西側は田んぼが広がっており、地形を見るとここが椿の海があった東端で、この西側は広い干拓地なのだ。

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「田壹反七畒二十歩也」

さてどんなことなのでしょう。

私はサラリーマン家庭で育ち新潟生まれといっても幼い時に都会に出てきていて、昔の単位の田畑などの大きさの知識もなく、昔の度糧法についても知識が乏しい。

田舎の農家で祖父母などと暮らしておられた方はある程度理解できるのかもしれない。

調べた知識なので違っていたら指摘願いたい。

「田壹反七畒二十歩也」・・・田一反(たん)は七畝(せ)二十歩(ぶ)である。

田一反は、1石(だいたい大人が年に食べるお米の量)のお米を作る田んぼの面積のこと

1反=10畝(畒)=300歩=300坪 とすると この七畒二十歩=230歩=230坪 くらいになる。

しかし、単位の1反は大昔は360歩であった。
それを秀吉の太閤検地でに300歩にして、その後の変更はないと言う。

太閤検地の変更も田でのコメの収穫量が良くなってきての変更であったと思う。

江戸時代初期に行われたこの椿の海の干拓で、この地のコメの収穫が非常に優れていたと言うことを表しているのだろう。

普通300歩(300坪)で作るお米が230歩で収穫できたと言うことならば、ここの田では通常より20%以上収穫量が多かったということなのだろう。

椿の海の干拓地で収穫されるコメの量を地元では「干潟八萬石」と呼んでいる。
またこの干拓は1670年に完成し2,741町歩の新田と18ヶ村の新田村が誕生したとある。

1町(町歩)は10反です。 計算してみても8万石にはなりませんが、周辺の干拓地を含めた合計なのでしょう。

私の習った1ha(ヘクタール)は約1町だそうです。

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春日神社鳥居。 この鳥居の手前側(西側)は広い田んぼが広がっています。

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旭市 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/05/27 20:50
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