玉崎神社(2)-玉前神社との関係

 今日も暑かったですね。一体どうなっているのでしょうか・・・・。

本当に夏は冷夏なのでしょうか?

 さて、千葉県旭市飯岡の玉崎神社の記事の続きです。

昨日はこの神社を下総国二の宮と紹介しましたが、調べて見ると正式には国府が市川市国府台、一の宮が香取神宮まではいいのですが二の宮は船橋市の「二宮神社」とされている紹介記事が多く見られました。

もちろんこちらを下総国の二の宮と書かれているものも多くあります。時代によって変化したのかもしれません。

まあ一の宮が少し国府から遠いのはやむを得ないけど二の宮がもっと遠くでは不便ですから。

常陸国の二の宮は静神社でこちらはほぼどの記事もほとんど一致しています。
しかし阿見町(旧信太郡)にある阿彌(あみ)神社を二の宮と捉えているものもあります。
この神社は古来の物部氏がここまでやって来て去った辺りとされているところです。
まだ郡衙としてわかっていない信太郡の最初の頃の郡衙があったのではないかとひそかに思っている場所です。
(高久→信太→下君山)

でも大洗の磯前(いそさき)神社や酒列磯前(さかつらいそさき)神社なども那珂川を挟んだ両側にあり気になる神社です。でもこちらは少彦名が」祀られています。
ガガイモの実でできた舟に乗って出雲の国やってきた小人の少彦名が大国主を手伝って国造りを成し遂げた後に淡島(島根県または和歌山県?)に行き粟の茎によじ登って茎の弾力で弾けて常世の国に行った先がこの那珂川流域なのです。
(これは解釈が分かれるところですので私の想像です)

tamasaki.jpg

さて例によってFloodMapsで海面高さを+5上昇させてこの九十九里浜を見て見ましょう。

九十九里浜は今のような砂浜が続く状態ではなく今の海岸線から少し内側には浅瀬の海や川からの流れが平行して流れている2重の水域があったようです。

今の横芝光町あたりを流れる栗山川(句麗山川?)は昔は海に直接注がれず海岸線に沿って流れがあったと言われています。
この海と内側の川の間は今では「蓮沼海浜公園」の緑地として広がっています。

そしてこの辺りが平家の祖である高望王(桓武天皇の孫、平国香の父)が上総介として関東にやって来て屋敷を構えたあたりなのです。

九十九里浜は昔は玉の浦と呼ばれていたようです。
この九十九里という名前も如何にも広い浜という意味にとれますが、九里=句麗を連想させる言葉が使われていますね。

九十九里の南側の端には上総国一の宮の「玉前(たまさき)神社」があり、北の端にこの玉崎神社があります。

玉前神社も玉崎神社も同じ「玉依姫命(玉依毘売命)(たまよりひめのみこと)」を祀っています。
玉前神社は鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を、玉崎神社は日本武尊を配神として祀っています。

阿玉台貝塚近くにある豊玉姫神社(前の紹介記事はこちら)はこの母親である豊玉姫を祀っているのでどのような時代と位置関係があるのかはよくわからない。

良く分からないが、いずれにしても調べてみる価値はありそうだ。

さて、この玉崎神社についてだが、玉ヶ崎大明神、玉の浦総社玉ヶ崎大明神、飯岡の明神様などとして古来より海の守り神としての信仰が厚く、神社HPによれば

「社伝によると、景行天皇十二年の創祀。日本武尊東征のおり、相模から上総へ向う途中海難に遭い、御后・弟橘姫命が入水して、無事上総到着。さらに、海路、葦の浦より下総玉の浦へ。日本武尊は、その霊異を畏まれ海上平安、夷賊鎮定のため玉の浦の東端「玉ヶ崎」に海神玉依毘売命の神霊を祀ったという。
後、「玉ヶ崎」を「龍王岬」と言うようになり、龍王宮と称されるようになった。」

と書かれている。

IMG_1747s.jpg

看板の後ろの石垣は17世紀中期の築造と考えられており、この石(飯岡石)は、海中より産出されたもの。

IMG_1752s.jpg

本殿 (県指定有形文化財):元禄10年(西暦1697年)造営、昭和3年(西暦1928年)に昭和天皇御大典の記念事業として銅版葺に改められた。

IMG_1757s.jpg

室町時代であった永禄期(1558~1570年)に、上総国一宮である玉前神社が戦火を避けるために、御神体をこちらの現玉崎神社に移したとも伝えられているそうだ。

また前述の横芝光町は元々は横芝町と光町とに分かれ、別な郡であり、古来は上総国と下総国に分かれていた所だ。
面白いですね。益々興味が湧いてきます。でも時間が無いのでこれくらいで。

次は境内の少し変わった物にフォーカスをあてて見たいと思います。

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旭市 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/05/31 19:20
コメント
記事を
興味深く読ませて頂きました。
おはようございます、kozoh55です。
吉祥寺の件、改めてお礼申し上げます。
あの山門と、まっすぐに本殿を望んで
お経を読み上げる姿に出会い
大きな感動を得ることができました。

それにしても、千葉と茨城は神代の時代の
中心だったことを改めてこの記事で感じました。
史実と神話とがぼんやりと重なっているところも
私たちの想像力をかきたててくれるのでしょうね。
国府の地は、
石岡であり、府中なんですね。
今度、府中の記事もアップ予定です。
またお邪魔します。
kozoh55さん
こんにちは。

> 吉祥寺の件、改めてお礼申し上げます。

こちらこそ雰囲気がわかりありがたかったです。

> あの山門と、まっすぐに本殿を望んで お経を読み上げる姿に出会い大きな感動を得ることができました。

あのお写真は私も感銘を受けました。

> それにしても、千葉と茨城は神代の時代の中心だったことを改めてこの記事で感じました。

もちろん九州や出雲、また近畿方面が主体であることは間違いないのですが、こちらの歴史が無いわけではないんです。
結構面白いですね。
ある程度動ける範囲でないと何回も行くことが出来ないし、1度ではなかなか分かりません。
まだまだ神秘な事が多くあるので暇つぶしも兼ねて遊んでいます。

> 国府の地は、石岡であり、府中なんですね。

常陸國の国府があったこと以外に案外知られていないので気がついたことなど紹介下さい。

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