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みちの駅 多古

 千葉県も銚子から旭市まで進出して見て歩いていたらどうしても匝瑳市や多古町へ足をのばしたくなりました。
茨城県の古代の歴史などを紐解いていたのですが、こちらに来るとまた見えてくる景色が大分違ってきます。

これから少しずつ調べてわかることから紹介して見たいと思います。
でも少し距離が遠くなり何度も行くこともできそうにありません。

昨日は午後から銚子で仕事があり、午前中早めに家を出て香取市から匝瑳市の方に車を走らせました。

そしてまた例によって気になった寺などを見物して多古町に出ました。

この多古町は古代に興味のある方には面白いところです。
ただ調べることも多くてなかなか理解が出来ません。

どこかで昼食もゆっくりしようと思っていたのですが、まったく時間が無くなってしまいました。
どこかコンビニにでも立ち寄ろうと思っていたら「道の駅多古」がありました。

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この多古町は北が成田空港に近いのでこの道の駅の食べ物なども成田空港にも出しているようです。

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多古町は多古米がブランド化されて知られていますが、歴史的にもとても古くから栄えたところです。

古墳なども多く、5000年から1300年前くらいの丸木舟がたくさん出土していて、日本で見つかっているほとんどがこの地域に集中しているようです。

また総国の中心ともなり、この栗山川より東が下総(しもうさ)国、西が上総(かずさ)国です。
昔の匝瑳(そうさ)郡は物部小事(もののべおごと)が坂東を平定したので褒美に朝廷からこの地をもらったものです。(6世紀前半?)
多古町も恐らく昔はこの匝瑳郡でしょう。

そして物部氏は香取郡から常陸國信太郡あたりまで進出しているようです。

常陸国を中心に見ていたので蝦夷征伐にいった坂上田村麻呂がこの栗山川をさかのぼって香取海(現利根川、霞ヶ浦)を渡ったということはあまり考えてきませんでした。

そうするとこの九十九里には舟でやってきたのでしょうか。またどこを通ってきたのでしょうか。
その前に時期には蝦夷の地には日本海周りで秋田から侵入したルートなどもあったようです。

ただ、この近くに田村麻呂が通ったとする足あとが残されているのです。またこれらも調べて見たいと思います。

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この道の駅のすぐ裏に「栗山川」が流れています。遊覧船の乗り場がありました。

多古町というのも変わった名前です。
この名前の由来については調べて見るといろいろな説があります。

1)湖が多いところという意味「多湖」、
2)古くから栄えた村が多くあったという「多古」、
3)田んぼが多い(稲作が早くから始まった)という「田子」、
4)朝鮮から渡ってきた文明の進んだ部族がすみついた場所という「多胡」
5)アイヌ語でタップコップ(多武古武)=小さく盛り上がった丸い形の意味。

私としては5)のアイヌ語説が一番ですね。海の蛸頭が丸い、昔の凧も丸かったようだし、愛宕山も丸い山に付いている名前だと考えられるし、耳にタコが出来るっていうのも皮膚が丸く盛り上がった状態からペンダコなどと同じ言葉の由来と考えると納得できる。皆さんはどのように考えますか?

これって漢字でその言葉の由来の考えると古い地名はまず失敗します。

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道の駅は大きな建物が2つあり、一つはレストランや休憩施設。
もうひとつが、特産品やお弁当などを売っている売店です。

多古米もありましたがおにぎりや弁当などの種類も多くて面白かったです。
今回は時間が無かったので簡単な昼飯をかいました。

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「山菜いなりおこわ」(365円)、「厚焼きたまご焼き」(250円)合わせて615円でした。
美味しかったですよ。
卵焼きは他にもいろいろな巻き寿司などもあってあまりおいしそうなのでシンプルな安いものを一つ買ったのです。
(味付けもシンプルでした。)



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匝瑳・多古周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/06/05 21:00
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