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栗山川ふれあいの里

 「道の駅 多古」から栗山川をさかのぼってみるとどんな景色が見えてくるのでしょうか?

千葉県内のみを流れる川で流域面積が2番目に大きな川といいますがそれ程の河川ではありません。
ただ昔の地形を予想するとこの川は玉の浦(九十九里浜)つながる内海のようなかなり広い面積を占めていたようです。

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これはFloodMapsで海面高さを+5mした地図です。
栗山川は九十九里浜にいまは屋形あたりで注いでいますが、少し前までは海岸線に沿って内側に流れがあり、大分先の方で海に注いでいたようです。

ここが注目されるのはこの川で上総と下総が分かれると言うこと、また縄文時代の遺跡も多いのですがその後の稲作文化などが早くから開けたらしい事、平家の祖である高望王が上総介としてやって来た時にこの川の河口に近い横芝光町屋形近くに政務所を置き、またその次男の良兼(国香の弟)が上総介として住んでいたらしい事などがあげられます。

しかし、この川の名前が「栗山川」なのですが、栗(くり)は「句麗」から来た名前ではないかともいわれ、早くから朝鮮からの渡来人が多く住み稲作を始め、丸木舟の漁が盛んであった跡がみられることなどに興味がわきます。

北海道夕張郡栗山町のホームページを見ると「栗山」の名前の由来はヤムニ・ウシ(栗の木・多いところ)から来ていると載っています。
こちらの栗山川も言葉の由来が似ていることも考えられます。

川沿いに食糧となる栗の木が多い場所だったのかもしれません。
そんなことをあれこれ想像するのも楽しみの一つです。
答えはきっと一つに絞ることは出来ないでしょう。でも考えて見ることが楽しいではありませんか。

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川をさかのぼると旧「栗源(くりもと)町」に「栗山川ふれあいの里」という公園があります。
栗山川の源という意味でついた名前かもしれませんが、川はここで二股に分かれます。
この公園の中を流れるのは少し細い支流の方です。

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栗源町は人口5000人くらいの比較的小さな町でした。
明治22年の町村制施行から村から町に変わっただけで月日も分裂もしてこなかった数少ない町です。

平成の大合併で佐原市、小見川町、山田町と合併して香取市になりました。

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この公園の入口から入って広場の入口に大きなモニュメントの塔が立っています。
この塔にこの町の思いが刻み込まれていたのです。

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なかなかきれいな塔だと思い近づいてみました。

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すると、何か一つ一つのセグメントに何か書かれています。いくつあるのでしょうか。
一つ一つの小さなブロックに絵や文字が書かれています。
恐らく町民が子供たちと一緒になって陶板一つ一つに思いを書き、焼いてこのモニュメントのピースとして飾ったのでしょう。
「きっとこの町を忘れない」との思いが込められているように思いました。

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ここ栗源(くりもと)町の特産は「ベニコマチ」という赤紫色のサツマイモだそうです。
サツマイモの胴体に栗の頭をしたゆるきゃら「クリちゃん」は20年ほど前から始めているそうで、全国ゆるきゃらブームの大ベテランだそうです。

この旧栗源町の少し東側に地図には「大塚古墳」と史跡名勝のマークもついています。

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地図を頼りに行ってみましたが、何も書かれたものが置かれていません。
でもこの場所でよさそうです。 円墳です。
この古墳の上に小さな祠が置かれています。
調べて見るとまだ発掘調査はされていないようです。

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麓の「大畑公会堂」と書かれた建物がありました。この建物の裏側です。
あとから建物を建てたので古墳への登り口が隠れてしまっているようです。

縄文時代から古墳時代に平安時代などの遺物が何気なく眠っていそうなエリアでした。




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匝瑳・多古周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/06/07 20:12
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