頭白上人塚
佐原(香取市)の町から県道16号線(通称佐原八日市場線)を旧八日市場(匝瑳市)の方に進むと観福寺という大きなお寺があり(記事はこちら)、そのまま進むと大根という集落がある。
この少し先には香取神宮の摂社の一つである「返田神社」がある(記事はこちら)。
そしてもう一つこの大根集落には前に物部氏と出雲族の衝突した?「切手神社」があった(記事はこちら)。
このように2~3回はここを通っているのだが、この切手神社の近くに変わった物を発見した。
車で先を急いでいたのだが、通り沿いに市の史跡説明の1本のポールが立てられていて「頭白」という文字が飛び込んできた。
あわてて引き返してその看板を見ると「香取市指定史跡 頭白上人塚」とある。
あれ何でこんなところに頭白上人が・・・・?


場所は来光というバス停の前で古墳のような(どうやら古墳らしい)小山がある。
その入口に上の説明看板がありわずかな広さの駐車場がある。
しかし、ここ駐車場はすぐ工務店さんの建物の入口になっている。
一応工務店さんもハウスギャラリーのような素敵な建物になっていて見物人も入れそうな雰囲気。

上の説明によると。戦国時代始めに頭白上人(近くの西蔵院五世)がこの地に疫病がはやり大変苦しんだ。
この疫病や飢餓を何とか救おうと、ここに穴を掘って自らが即身仏?になった。
即身仏などというのは「相棒」などにも登場し他にも話には聞いていましたが現実問題としてその場所に遭遇したのは初めてです。
7日7夜鉦が地中から聞こえていたそうです。

この入定塚の上に古い板碑が置かれています。
文明十八年(西暦1486年)の銘が入った大きな板碑です。(記録では入定したのはその3年前の1483年とか?)

さて頭白上人はご存知でしょうか? 茨城県のお寺などを廻っていると時々名前を見かけることがあります。
一つは東海村の村松山虚空蔵堂。ここは弘法大師(空海)が徳一法師が作った筑波山の寺を整備して「知足院中禅寺」とした後、この地に等身座像(虚空蔵菩薩)を彫って安置したのが始まりとされています。
今では十三詣り(数え歳13歳にお詣りすると13番目に誕生したとされる虚空菩薩の知恵と福がさずかるとされる)が有名な場所です。
また虚空蔵尊は丑寅年生まれの人の守り本尊とされこれが13歳なのだとか。
でも丑虎は東北東で鬼門の方角です。
筑波山から見て村松山虚空蔵堂はまさに鬼門の方行に一致しています。
ここは屋根にまで牛と虎がいます。
この虚空蔵が戦火で焼け(1485年佐竹氏と岩城氏の戦い)、佐竹氏の信仰が厚いこの寺を1487年に頭白上人が再興したものと言われています。
上の入定して即身仏なった後にこの村松山虚空蔵堂を再建したことになりますから同じ人物なのかは疑問です。
もう一つは筑波山につながる一角(土浦市の北)で山が採石されむき出しの岩肌が大きく目立つ場所があります。
昔からこの石が貴重で業者による採石が進められています。
この採石場の東となりにある「金嶽神社」にとても大きな五輪塔が頭白上人が建てたとされるものです。(記事はこちら)
この五輪塔は物凄く大きなもので頭白上人が母親の供養のために建立したもので、永正12年(西暦1516年)の銘あります。
まあ何処までが本当なのかは分かりません。
この頭白上人は生まれた時の伝説から死ぬ時、また生まれ変わりと数々の伝説が伝わっています。
もっとも有名なのが「飴を買う幽霊」の話です。
身ごもって臨月間近の女が殺された。そしてそのまま墓に埋められた(土葬)。
墓の中で赤ん坊が生まれ、女は幽霊となって冥土の駄賃六文銭を使い毎晩一文銭で飴(団子という話もある)を買いに現われた。
そしてとうとう六文を使い果たし寂しく帰っていった。
その姿を見た飴屋が後をついていき墓と赤ん坊を発見した。
その時に墓から助けられた赤ん坊がそののちに有名な高僧になった。
生まれた時から髪の毛が真っ白だったので頭白上人と呼ばれた。
この頭白上人がこの殺された母親を供養するために建てたのが上で紹介した五輪塔です。
もう一つは佐竹氏にまつわるお話です。
戦国時代に入り頭角を現してきた佐竹氏はつくば・土浦地方で勢力を持つ小田氏と勢力争いをしていた。
ある時この筑波山麓に近い石崎(この五輪塔のあるあたり)で頭白上人が説法をしていた。
そこに小田の殿さまが馬に乗って通りかかった。
そして馬に乗ったままこの説法を聞いていた。あまりの態度が無礼であったので頭白上人は小田の殿様に「こんな非礼な者は天下の愚将と言わざるを得ない」というようなことを言ったとか言わなかったとか・・・
まあ、怒った小田の家臣たちがそこに集まっていた者たちを惨殺してしまった。
頭白上人もこれに憤ってその場で自ら命を絶った。
その後小田の敵である佐竹家(佐竹義重)に嫡男の義宣が生まれた(1570年)。
生まれた時にその手にしっかりと頭白上人の形見をにぎりしめ我は頭白上人の生まれ変わりだと言ったとか言わなかったとか・・・・。
そして1590年小田氏(小田氏治)を滅ぼした。
ここの佐竹氏が頭白上人を民衆に力を持つ伝説の人と捉えこの力を利用したと考えられますが、この小田氏治も最後まで佐竹氏の常陸統一を阻止した伝説の武将です。またここでは死なず、越前に移り1602年に没しました。
まあお話は尾ヒレがつきますので何処までが信用できるかどうかは読む人の勝手でもあり、まあ時代背景を推察するには良いエピソード程度に聞きながして下さい。
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この少し先には香取神宮の摂社の一つである「返田神社」がある(記事はこちら)。
そしてもう一つこの大根集落には前に物部氏と出雲族の衝突した?「切手神社」があった(記事はこちら)。
このように2~3回はここを通っているのだが、この切手神社の近くに変わった物を発見した。
車で先を急いでいたのだが、通り沿いに市の史跡説明の1本のポールが立てられていて「頭白」という文字が飛び込んできた。
あわてて引き返してその看板を見ると「香取市指定史跡 頭白上人塚」とある。
あれ何でこんなところに頭白上人が・・・・?


場所は来光というバス停の前で古墳のような(どうやら古墳らしい)小山がある。
その入口に上の説明看板がありわずかな広さの駐車場がある。
しかし、ここ駐車場はすぐ工務店さんの建物の入口になっている。
一応工務店さんもハウスギャラリーのような素敵な建物になっていて見物人も入れそうな雰囲気。

上の説明によると。戦国時代始めに頭白上人(近くの西蔵院五世)がこの地に疫病がはやり大変苦しんだ。
この疫病や飢餓を何とか救おうと、ここに穴を掘って自らが即身仏?になった。
即身仏などというのは「相棒」などにも登場し他にも話には聞いていましたが現実問題としてその場所に遭遇したのは初めてです。
7日7夜鉦が地中から聞こえていたそうです。

この入定塚の上に古い板碑が置かれています。
文明十八年(西暦1486年)の銘が入った大きな板碑です。(記録では入定したのはその3年前の1483年とか?)

さて頭白上人はご存知でしょうか? 茨城県のお寺などを廻っていると時々名前を見かけることがあります。
一つは東海村の村松山虚空蔵堂。ここは弘法大師(空海)が徳一法師が作った筑波山の寺を整備して「知足院中禅寺」とした後、この地に等身座像(虚空蔵菩薩)を彫って安置したのが始まりとされています。
今では十三詣り(数え歳13歳にお詣りすると13番目に誕生したとされる虚空菩薩の知恵と福がさずかるとされる)が有名な場所です。
また虚空蔵尊は丑寅年生まれの人の守り本尊とされこれが13歳なのだとか。
でも丑虎は東北東で鬼門の方角です。
筑波山から見て村松山虚空蔵堂はまさに鬼門の方行に一致しています。
ここは屋根にまで牛と虎がいます。
この虚空蔵が戦火で焼け(1485年佐竹氏と岩城氏の戦い)、佐竹氏の信仰が厚いこの寺を1487年に頭白上人が再興したものと言われています。
上の入定して即身仏なった後にこの村松山虚空蔵堂を再建したことになりますから同じ人物なのかは疑問です。
もう一つは筑波山につながる一角(土浦市の北)で山が採石されむき出しの岩肌が大きく目立つ場所があります。
昔からこの石が貴重で業者による採石が進められています。
この採石場の東となりにある「金嶽神社」にとても大きな五輪塔が頭白上人が建てたとされるものです。(記事はこちら)
この五輪塔は物凄く大きなもので頭白上人が母親の供養のために建立したもので、永正12年(西暦1516年)の銘あります。
まあ何処までが本当なのかは分かりません。
この頭白上人は生まれた時の伝説から死ぬ時、また生まれ変わりと数々の伝説が伝わっています。
もっとも有名なのが「飴を買う幽霊」の話です。
身ごもって臨月間近の女が殺された。そしてそのまま墓に埋められた(土葬)。
墓の中で赤ん坊が生まれ、女は幽霊となって冥土の駄賃六文銭を使い毎晩一文銭で飴(団子という話もある)を買いに現われた。
そしてとうとう六文を使い果たし寂しく帰っていった。
その姿を見た飴屋が後をついていき墓と赤ん坊を発見した。
その時に墓から助けられた赤ん坊がそののちに有名な高僧になった。
生まれた時から髪の毛が真っ白だったので頭白上人と呼ばれた。
この頭白上人がこの殺された母親を供養するために建てたのが上で紹介した五輪塔です。
もう一つは佐竹氏にまつわるお話です。
戦国時代に入り頭角を現してきた佐竹氏はつくば・土浦地方で勢力を持つ小田氏と勢力争いをしていた。
ある時この筑波山麓に近い石崎(この五輪塔のあるあたり)で頭白上人が説法をしていた。
そこに小田の殿さまが馬に乗って通りかかった。
そして馬に乗ったままこの説法を聞いていた。あまりの態度が無礼であったので頭白上人は小田の殿様に「こんな非礼な者は天下の愚将と言わざるを得ない」というようなことを言ったとか言わなかったとか・・・
まあ、怒った小田の家臣たちがそこに集まっていた者たちを惨殺してしまった。
頭白上人もこれに憤ってその場で自ら命を絶った。
その後小田の敵である佐竹家(佐竹義重)に嫡男の義宣が生まれた(1570年)。
生まれた時にその手にしっかりと頭白上人の形見をにぎりしめ我は頭白上人の生まれ変わりだと言ったとか言わなかったとか・・・・。
そして1590年小田氏(小田氏治)を滅ぼした。
ここの佐竹氏が頭白上人を民衆に力を持つ伝説の人と捉えこの力を利用したと考えられますが、この小田氏治も最後まで佐竹氏の常陸統一を阻止した伝説の武将です。またここでは死なず、越前に移り1602年に没しました。
まあお話は尾ヒレがつきますので何処までが信用できるかどうかは読む人の勝手でもあり、まあ時代背景を推察するには良いエピソード程度に聞きながして下さい。


お晩です、いつもお世話になってます、Romanさん。
佐竹と小田の戦いにまで関わってくるなんて、
幽霊のお話になるなんていうのも、
恐ろしいというより、神々しい赤ちゃんというのは
実際に生まれたりして、逸話になったのでしょうね。
事実かどうかというより、物語自体を
楽しむことができますねえ。
またお邪魔します。
面白い話がいっぱいですね。
幽霊にしても生まれ変わりの話にしても、また今度の死に方まで
人びとは何を伝えたかったのでしょうね。
「伝説はこのようにして生まれる?」>なんて考えさせられました。
たまにはこのような逸話話もいいかもしれませんね。
出来るだけ拾い上げていきないのですが・・・・
なかなか見つからない。土の奥深く眠ってしまっている?
すこしずつ根気よく探していくしかありません。
これからもよろしくお願いします。