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松崎神社(坂東稲荷宮)

 千葉県多古町に松崎神社という古社がある。
栗山川の上流で由緒のありそうな神社を探していたらこの神社を見つけた。

昔は成田山と肩を並べるくらい信仰があったともいわれていると言う話もありどんな所かを見にいった。

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県道16号線から南玉造の信号を東に127号線を進むと常盤から東松崎に入り案内板にしたがって右折すると神社が現われた。

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神社前の通り。

思っていたより少し小さかったが裏手は古墳で如何にも古そうだ。

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入口近くにある杉のご神木。

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拝殿横にみごとなイチョウの樹があり、「逆さ広孫樹」との説明看板があります。空海が広孫樹(イチョウ)の樹を逆さにしてさしたものだと伝えられるもの。
椎の木がイチョウの木の途中から大木となって一緒に成長しています。

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「坂東稲荷宮」の扁額がかかっています。
社伝によると宝亀3年(772年)の創建といわれ、祭神は倉稲魂命、邇邇芸命(ニギニギノミコト)、大宮比売命であり五穀豊穣および歌舞音曲の神様とされる。

この神社を有名にしている?のは坂上田村麻呂が蝦夷征伐に行く時にこの神社に参拝して、鏡一面・征矢を献じ木鼓一箇を奉納をしたとされることだ。(坂上田村麻呂は797年に征夷大将軍に任じられています)
鏡と征矢はその後兵火によって失われたが、木鼓は現在社宝として保存されている。

坂上田村麻呂が参拝したとかいわれる神社は数限りなく存在し、そのほとんどが権威づけのために後から付けられた話とも考えられるのだが、その中でも一部が焼失したとはいえ木製の太鼓が残されているのは大変貴重だと思う。

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平忠常の乱(1028年-1030年)で社殿が焼失し、建久2年(1191年)に再興された。
時のこの地の権力者であった北条氏や里見氏などの武将の尊敬が篤く、徳川家康も朱印地30石を寄進した。

現在の本殿は万治元年(1658年)、中殿および拝殿は宝暦6年(1756年)の改築。

明治2年(1869年)「松崎神社」と改号し、明治6年(1873年)郷社に列した。(Wikipediaより)

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神社の裏手の山は「北条塚古墳」と呼ばれる長さ70mの比較的大きな前方後円墳です。
古墳時代後期(6~7世紀)の築造とされ、古墳の周囲からは形象埴輪の靱(ゆき。矢を入れて背負う器)と思われる破片が出土しています。

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木鼓は長さ約3尺(90センチ)、径約1尺5寸(45センチ)で、鼓皮は木皮(桜)を用い、使用のくぎは樹脂である。既に腐朽して原形をとどめるのみであるが、一見して奇古、珍重すべきものである

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木鼓の保管庫

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匝瑳・多古周辺 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/06/11 20:29
コメント
No title
今晩は・・・<(_ _)>。
Roman様へ・・・m(__)m。
見事な公孫樹に目を奪われて、何と書こうかと思い、ド忘れしてしまいました・・・(^_^;)スミマセン。
逆さ公孫樹とは、本当に珍しいですし大事にしたいですね。
それから、桜の木皮を使用した木鼓・・・本当に歴史を表していますね・・・・・。
神社のお社も素晴らしいです。
まだ、足を伸ばしていないので、ゆっくりと行きたいと思う次第です・・・。
閉めになりますが、Romanさん何時も取材お疲れ様です・・・。
お身体御自愛下さい。
では・・・v-22

たまこ様
こんばんは。

暑かったと思ったら毎日雨でうっとうしいですね。

この公孫樹は見事な木ですね。知らないで行ったので・・・。
各地にイチョウの樹もいろいろあり楽しいです。
オハツキイチョウなどという物も各地にありますね。
特に笠間の西念寺(親鸞稲田草庵跡)のものも見事です。
またご存じの西蓮寺の1000年イチョウは本当にすごいですね。

> それから、桜の木皮を使用した木鼓・・・本当に歴史を表していますね・・・・・。

これは写真では確かに太鼓なのですが、最初は酒樽という説もあるんだとか。
あまりに昔で良く分からないで話は途中で変わっていくのでしょうね。

適当にまとめて記事を書いています。多古・匝瑳などももう少し続きます。

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