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鷲の話 - 鷲塚と鰻塚

 鷲の話の第3話です。

今日は私のHPで紹介した「三村城秘話」に登場する「鷲(わし)塚」と「鰻(うなぎ)塚」の話を紹介しましょう。

石岡(府中)の平氏・大掾(だいじょう)氏が滅びる寸前(戦国時代末期)の話です。

府中城の東の守りを固めるために三村城が今の三村小学校のところの高台にありました。
城主は府中城主大掾清幹の弟である「常春」が任じられました。

常春はまだ若かったのですが、三村のまわりを固め、常春寺を建て、熱心にその地を守るのに尽力したように思います。
「南城実録・三村記」などが残されており、当時を偲ぶことができるようです。

さて、この落城にまつわる話として「大鷲」と「大鰻」の決闘の話が伝わって残っているのです。

小川城の園部は府中城の兄清幹の妻「鈴姫」の実家です。
その園部が佐竹氏の味方となって府中城に攻めてくる報が入ります。

そのため、三村城の本丸に重臣たちが集まり会議をしていた時に、近くの霞ケ浦の岸で、「大鰻」とそれを空から「大鷲」が襲って、ものすごい戦いがはじまったのです。

戦いは、両方が傷つき、死んでしまったといいます。

鰻は胴周りが1尺もあり、耳や歯がある大きなウナギだったというのです。

城の兵士は園部を攻めるために出陣しますが、そのスキをついて空になった城を小田氏が1000名の兵をもって攻めてきます。

城主「常春」は城の麓の田に馬の足を取られ自害して果てます。

この話に出てきた「大鷲」「大鰻」を葬った場所が「鷲塚」「鰻塚」とよばれて残されてきたのです。

しかし、耕地整理の堤防増築の際にこの塚を削ったところ、中から2体の人骨がでてきて、古墳だったということがわかったのです。

この話には少しおまけがあり、鷲と鰻が争っていたのを城の兵士である「飯田七郎左衛門」が撃ち殺したとあるのです。

なぜ、この造られたような話に人の名前が出てくるのでしょうか?
一般に作り話であればこのような具体的な名前は出てこないか、もっと有名な人の名前に置き換わっていることが多いはずです。

この話を読むとその時の光景が目に浮かぶようです。

鷲が神から使わされた鳥であるなら、この鰻は何を指しているのでしょうか。

鰻は淡水魚とは言われますが、深海を周遊して戻ってくるとも言われています。
昔から鰻は食用に食べられていたようです。

鰻を祀ったお宮や「鰻塚」などが各地にあります。これは、鰻を食べて病気が治ったなどと言い伝えが多くあり、ウナギを祀ったものと思われます。

この話には判らないことがまだたくさん残されているように思います。
石岡の人は何故このような面白い話に興味を示さないのでしょうかね?

私のHPを読んだ鎌倉の人が興味のあることを書いてきた。
そして自分のHP(鎌倉、幻の風景)に紹介している(岩瀬、伝説が生まれた所)。

この記事も面白い解釈だと思う。
 

鷲(わし)の話 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/01/17 19:15
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