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飯高壇林跡(1)

 この飯高寺(はんこうじ)(飯高壇林(いいだかだんりん)跡)は千葉県のブログ読者の方から勧めていただいたところです。

ここを訪れたのは6月の初めですからもう1カ月近く経ってしまいました。
少し他の記事が入ってしまい、まとめる時間がとれなくてついつい遅くなってしまいました。

麓の入口には「日本最古の大学」との大きな看板が出ています。

私がここを訪れ、そしてその近くの寺も廻って見てまず感じるのは日蓮宗のお寺が非常に多い事です。
当然千葉氏にまつわる妙見(みょうけん)神社・寺などもたくさんあり、茨城とは明らかに違います。

この飯高壇林も日蓮宗の修行者の学問所でした。
そしてそれが現在の「立正大学」に発展しました。

立正大学の設立は1924年(大正13年)ですが、その基になったのがこの飯高壇林で1580年(天正8年)だったのです。

この寺の広い敷地は緑が非常に多く、静かで落ち着いた雰囲気に満ちていました。
素晴らしいところです。お近くに行かれましたら立寄られたらいいと思います。
私に勧めて下さった読書の方にも感謝します。

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飯高寺は山道を少し登ったところにありますが、麓に大きな駐車場がありそこから歩いて登りました。
案内板にしたがって登り、寺の敷地に沿って回り込むと飯高寺の大きな山門が緑の木々の間に現われました。

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総門です。延宝8年(1680)に建立され、現在の門は天明2年(1782)に建て変えられたものです。

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飯高壇林の説明は上の看板を読んでください。
ただ歴史的にはこの壇林が作られて発展するのにも色々な歴史もあったようです。
「おまんの方」などの庇護もあり関東八大壇林として発展してきたようです。
もう少し周りを見ながら歴史的なものは考えて見たいと思います。

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少し進むと右手に「空堀跡」という立て札がありました。

この寺は1573年に匝瑳市飯塚の光福寺に学問所を要行院日統が開き、土地の有力者平山刑部が自分の城の近く「妙福寺」に学問所を移し、翌年にこの城の敷地内に(現在の地)に学問所を移したとあります。

この妙福寺は大きな下の駐車場近くにありましたのでまた後で紹介します。

やはりここには山城があったので当時の堀が残されているのでしょう。

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「廟所」という立て札がありますが、木々の茂静かな林で、特にお墓などは目につきませんでしたが、奥に入っていけばあるのかもしれません。

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一切経蔵(いっさいきょうぞう)。お経などをしまっておく蔵。

寛文12年(1672)に建てられ、天明2年(1782年)建て変えられた。古びたまま残っている。

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立正大学発祥の碑

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この後すばらしい講堂に目を奪われました。記事は明日に続きます。



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匝瑳・多古周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/02 21:20
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