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飯高壇林跡(5)-飯高神社(2/2)

 飯高神社の拝殿から本殿の方に回って見ました。そこには驚く光景が・・・。

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拝殿裏の本殿には一般には外からは入れなくなっているのですが、こちらは脇から立派な彫刻を施した唐門がありました。

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反対側にも門があります。片側しか開けていませんでしたが両側から本殿に参拝できます。

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そして変わった狛犬が。

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本殿にはたくさんの彫り物が描かれ、前面のかべもとても特徴のある模様が描かれています。

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この本殿が造られたのは江戸中期の18世紀半ば。

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本殿の周りもまた周りに囲まれた玉垣も多くの彫刻が施されています。
日本一多くの仙人に会える神社だと言うのです。

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この彫刻類は一見の価値があります。

こんなところにこんな素晴らしい彫刻があったのかと目を見張ってしまいました。

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これらの彫刻の内容はわからなかったのですが、中国の親孝行である「二十四考」が描かれているようです。

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でも二十四考(にじゅうしこう)を調べて見ると手本にすべき24人の孝行の話は今から見るとおかしなものがたくさんあります。


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「二十四孝」の仙人を彫刻してあるのは千葉では成田山新勝寺とここ飯高神社のみだそうです。

前に悪路王の面があると書いた城里町の鹿島神社の彫刻を思い出しました。

やはり二十四考が徳として伝えられた頃にこのような彫刻を施す神社が出来たのでしょう。
少し調べて見たい気もします。

(少しばかばかしい一部の話をのせます)

・呉猛(ごもう)(8歳):家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなった。

・王祥(おうしょう):実母が冬の極寒の際に魚が食べたいと言うので河に行った。しかし、河は氷に覆われていた。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。早速獲って帰って母に与えた。この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。

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匝瑳・多古周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/07 20:44
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