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日本寺(中村壇林跡)-1/2

 千葉県匝瑳市の国の史跡に指定されている飯高寺(飯高壇林跡)を見物した後に、近くにもう一つ大きな壇林(僧侶が修業・学習する場所)があると知り、飯高壇林の見学後に立寄りました。

もう1カ月以上前になりますが、記事がまとまりませんので記憶が薄れてしまいますのでとりあえずUPしておきます。

場所は多古町ですが飯高壇林跡から西に3kmほど行ったところです。
ここはここには飯高壇林と同じ日蓮宗の「中村壇林」があったと言います。日蓮宗の三大壇林(飯高(飯高寺)・中村(日本寺)・小西(正法寺))に一つ。

こんなすぐ近くに日蓮宗の大きな壇林が2つあったことになります。

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入口の山門。江戸初期のもので町の有形文化財。

門の中央上に掲げられた「東東山」と書かれた大きな扁額は下の説明にあるように「本阿弥光悦」の筆だそうだ。
江戸初期の寛永の三筆と言われた書の大家である。
日本三額の一つにであると説明にはよく書かれているが、残りの2つがどこかは書かれたものが無い?

門の右に派「本山 日本寺」とある。本山は日蓮宗の由緒寺院だとのこと。

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この日本寺は元中村壇林と言われた。

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山門をくぐると遠く正面に本殿が見える。
この参道の左手奥には紫陽花の花壇があり日本各地の紫陽花が植えられている。
この花壇は比較的新しいようだ。これから数年すれば紫陽花の名所になるかもしれない。

でも8000株で、種類が50種類もあると言う。

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歴史的なものは明日にでも少し調べて書きたしたいと思いますが、1599年に設けられた中村壇林は明治8年まで続き、最盛期には36の学坊があり、数百人の学僧が勉学・修行に励んでいたそうです。

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 鐘楼。「四恩の鐘」と命名されていました。

明日に続きます。





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匝瑳・多古周辺 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/15 20:34
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