逢善寺(1)

 霞ヶ浦に古渡(ふっと)で注ぐ稲敷市を流れる小野川がある。
この千葉県の佐原(香取市)をながれる川も小野川であり、こちらの小野という名前も前から気になっていた。

小野というのはかなり古くからある日本の苗字で、代表的なものとしては小野篁、小野妹子、小野小町、小野東風などがいる。

川の名前が先か、それともこれらの氏族にかかわりがある地名と繋がるのかはそれぞれ違いもあり、ただ単に野原を川が流れる様子からついたとも考えられる。

この稲敷市の小野川の少し上流に「小野」という地名があり、そこに古い「逢善寺(ほうぜんじ)」という寺がある。
地図にもあまり詳しく出てこないが、ここはなかなか見ごたえのある寺であった。

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江戸崎の方から行くと、小野川を渡った昔「安婆島(あばじま)」と呼ばれた?先端に浮島がある半島のような途中にある。

いまは小野川もその先の利根川もある程度川幅が狭まっているが、きっと昔はもっと川幅もありこの場所が島のように見えたのかもしれない。

上の写真は江戸崎の先で小野川を渡った低地から対岸?の安婆島を見たもので、この上に小野地区があり「逢善寺」がある。

しかし、道は狭くごちゃごちゃしていて私のようにカーナビもついていない車でたどり着くのは大変心もとない場所だ。

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まあ、何とか見当をつけて下の道から上っていったら案外すんなりと寺の前に出た。
「天台宗逢善寺(慈雲山無量寿院逢善寺)」である。
この場所にこのような立派な寺があるのかと不思議なくらいだ。
ここも江戸時代には壇林(天台宗の関東八檀林の一つ)として栄えた有名な寺だという。

千手観音を本尊とし、「小野の観音様」として親しまれたと言う。

天長2年(825)に最澄が天台宗を開いたが、最澄の弟子である「逢善」がその翌年の826年にこの逢善寺を創建したと伝えられる。

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入口の立派な仁王門。茨城県指定文化財。

これは明治元年(1868)に東京麹町にある日枝(ひえ)神社の仁王門を移したものだという。

日枝神社は太田道灌が江戸城を築城した時にこれらの門も築造されたと物と言われているが正式な製作年代はわかっていないと言う。



金剛力士像一対。県指定有形文化財。

応永9年(1402)の制作とみられ、茨城県内では最古の仁王像である。)仁王門と一緒に日枝神社からうつされたもの。

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この一対の金剛力士像(仁王像)はかなり見ごたえがあります。

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何故こんな立派な寺があまり知られることもなく、佇んでいるのか・・・・。
言葉を失うような衝撃を受けます。

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この仁王門の先に実に大きな本堂が見えます。
こちらは明日にでも載せますが、その大きさは県内一かもしれません。

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仁王門手前に「松本楓湖」の石碑が建てられています。

松本楓湖は1840年にここ小野(稲敷市(旧新利根町)の医師の三男として生まれ、わずか15~16歳の時にこの逢善寺本堂の天井画「飛天の図」(町指定有形文化財)として天女の姿を描いています(町指定有形文化財)。



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阿見・美浦・稲敷 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/07/27 18:22
コメント
凄い素性を持った
お寺なんですね。ひっそり佇んでいて
いいのかなあとか思ってしまいます。
明治元年に移したというのも
歴史の意味というのを考えてしまいますね。
江戸時代の日枝神社の大きな存在ということを
考えると、この仁王門、仁王像がどれほどのものかも
想像してしまいます。
おばんです、Romanさん、続きを楽しみにいたします、
またお邪魔します。
kozoh55さん
こんばんは。

こんなのが知らずにあるのなんて驚きなのです。
あまりメジャーでではないのですが専門家の間では結構有名なところのようです。
茨城の古寺巡礼の本などには載っているようです。

> 明治元年に移したというのも歴史の意味というのを考えてしまいますね。
> 江戸時代の日枝神社の大きな存在ということを考えると、この仁王門、仁王像がどれほどのものかも
> 想像してしまいます。

日枝神社は有名ですが江戸時代は大きな寺だったんですね。
隠れた名寺です。

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