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献穀田

 常陸国総社宮の相撲の土俵のすぐ近くに目立たない石碑が置かれている。

「おみたらし道」への入り口近くでもある。
今まで何度も来ているがあることに気がつかなかった。

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「皇太子殿下御誕生記念 常陸国総社宮献穀田」と書かれているようです。

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裏を見ると「昭和九年七月三十日」とあります。

今の天皇陛下が生まれたのは昭和八年十二月二十三日ですから、これを記念して翌年に造られたものと考えられます。
献穀田(けんこくでん)というのは秋に行われる新嘗祭(にいなめさい)に備えるための米をつくっている田のことだそうです。

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この総社宮に関する記事を調べてみると、八郷の片野地区に現在「献穀田」があり、田植えの行事なども行っているようです。

しかし、昔は宮下にある現在国府中学校がある場所にこの「献穀田」があり、神事も行われていたようです。

この場所の田が使えなくなった時にこの石碑を境内に移して残したのだそうです。

その国府中学校も統合され廃校となるとのうわさが飛び交っていますが、時期はまだ明確ではなく検討段階のようです。
全国の小中学校の統廃合が急速に進んでいます。

国府中は学校の沿革を見ると、昭和52年に建設が承認され、昭和57年に用地買収、昭和57年に建設開始。
昭和59年に開校という比較的新しい学校です。
耐震基準の法律の施行が昭和56年ですから、この基準後と考えられます。
建て物は古そうに見えますが塗装し修理すればまだまだ使えそうな建物です。

石岡も1960年代に多くの学校が統廃合されました。
しかし、2012年に適正配置の調査が全国規模で行われ、これからもまだ計画が続いていくようです。

詳細はわかりませんが、詳しく知りたい方はご自分でお調べくださいね。

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石岡市内 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2014/08/02 18:49
コメント
石岡の学校
国府中は田んぼの中に建ち、車で通りながら眺めただけです。第2次ベビーブームの生徒数増加を見越したのでしょうが。
1960年代はまだ地方の格差がありました。水戸ではあるのに石岡小学校には、体育館が長いことありませんでした。プールも。完全給食も。
高度成長期から先ず市役所の建物が立派になり、やがて学校設備の差が縮小していったのでした。今では教室にエアコンがある(茨城はどうですか)のが当たり前とは隔世の感がします。
それでもまだ通学路を見ると危ないなーという気がします。国府中には宮下の通り、府中中には柿岡街道が通学路ですか。ガードレールの無い道の端を徒歩や自転車で通学するのを見ると心配になります。
忠顕 さま
何処の田舎町も学校の統合が進んでいます。
石岡の市内は比較的影響が少ないところだと思います。
家がパラパラ程度しかない場所はバスを使って遠くに通ったりしはじめました。
子供の数が少なくなるのでやむを得ない面もありますが、どこかそれまでの思い出も消えて行くようで寂しいですね。

> 今では教室にエアコンがある(茨城はどうですか)のが当たり前とは隔世の感がします。
私の育った時はもちろんありませんし、子供たちの時もまだ完全では無かった気がします。
通学路は石岡はそれ程危ないとは感じませんが古くからある道路が多く狭い路地などがとても多い街ですね。
街中は歩道が大分出来ましたが。縁石やガードレールを取り除いてしまいました。
景観やバリアフリーとしてはいいのでしょうが事故が起こってからでは遅いのですが・・・。
今のところまだ歩いて通える(街中)ということで自転車は少ないです。
都会は逆に大人も怖いです。歩道を自転車がスピードを出して走ったりしますから。

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