逢善寺(4)
先月末に3回にわたって紹介していた(その1、その2、その3)茨城県稲敷市(旧新利根町)小野にある逢善寺の続き記事です。
天台宗の八壇林として江戸時代には多くの学僧を輩出したであろうこの逢善寺は今では道もわかりにくく訪れる人も少ないようだ。
前回に県の文化財として指定されている本堂(天保13年(1842)に再建)を紹介したが、こんな場所にこのように大きな風格の建物があったことに驚かされた。
しかし、この隣に少し離れてやはり県の文化財指定を受けている書院があったのだが気がつかず、改めて先日訪れた。
あまり紹介されているサイトが少ないので写真も多めに載せておきます。

唐破風屋根を持つ書院。
天文・文政年間(江戸後期)に本堂と同じく火災で焼失したが、文久2年(1862年)に再建されたもの。
藁葺屋根のまま残されており重厚な造りが大変素晴らしい。

書院の右手に庫裡が繋がっていて、土間が見えたがこちらはまだ使われているようだったので内部をのぞくのは遠慮した。

書院の入り口上部。

書院の入り口。なんとなく昔の雰囲気が伝わってきます。

寺の本堂側から見た書院。
正ここと本堂との間には少し隔たりがあり樹木が茂っているので知っていないとこちらを素通りしてしまう。

裏側に回って脇から垣根に門があり中庭をのぞく事ができた。

雰囲気が伝わるだろうか。

写真右側が書院で正面は庫裡。両方が一体となってL字型になっている。




最後はやはり荘厳な本堂の写真を1枚追加しておきます。
この寺に行くのにちゃんとした道が何処なのかわからない。
この小野部落は家もあり道路もある程度しっかりしているが、そこにとりつく道路がまだ整備されていない。
今回も工場団地のようなところから回り込むようにしてたどりついた。
それにしてもこの場所にこれだけのものがあるので、もう少し近くも探索して見ることにしました。
また明日に書きます。
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天台宗の八壇林として江戸時代には多くの学僧を輩出したであろうこの逢善寺は今では道もわかりにくく訪れる人も少ないようだ。
前回に県の文化財として指定されている本堂(天保13年(1842)に再建)を紹介したが、こんな場所にこのように大きな風格の建物があったことに驚かされた。
しかし、この隣に少し離れてやはり県の文化財指定を受けている書院があったのだが気がつかず、改めて先日訪れた。
あまり紹介されているサイトが少ないので写真も多めに載せておきます。

唐破風屋根を持つ書院。
天文・文政年間(江戸後期)に本堂と同じく火災で焼失したが、文久2年(1862年)に再建されたもの。
藁葺屋根のまま残されており重厚な造りが大変素晴らしい。

書院の右手に庫裡が繋がっていて、土間が見えたがこちらはまだ使われているようだったので内部をのぞくのは遠慮した。

書院の入り口上部。

書院の入り口。なんとなく昔の雰囲気が伝わってきます。

寺の本堂側から見た書院。
正ここと本堂との間には少し隔たりがあり樹木が茂っているので知っていないとこちらを素通りしてしまう。

裏側に回って脇から垣根に門があり中庭をのぞく事ができた。

雰囲気が伝わるだろうか。

写真右側が書院で正面は庫裡。両方が一体となってL字型になっている。




最後はやはり荘厳な本堂の写真を1枚追加しておきます。
この寺に行くのにちゃんとした道が何処なのかわからない。
この小野部落は家もあり道路もある程度しっかりしているが、そこにとりつく道路がまだ整備されていない。
今回も工場団地のようなところから回り込むようにしてたどりついた。
それにしてもこの場所にこれだけのものがあるので、もう少し近くも探索して見ることにしました。
また明日に書きます。


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