阿弥陀寺(稲敷)
今日はもう夏が終わってしまったかのような陽気です。でもセミ(アブラゼミ、ミンミンゼミ)は慌てたように鳴きつづけています。
まだ夏が終わってしまっては困るのでしょう。ツクツクボーシがまだ鳴いていないんです。
それからこの辺りにはまだクマゼミは進出しておりません。茨城では聞いたことが無いんです。
クマゼミは子供の頃に横浜にはいました。静岡などでは朝からうるさくて大変でした。
さて、江戸崎から成田方面に進み小野川を渡って、新利根川手前の新利根町「角崎」信号を西に少し入った根本と言う場所に時宗の寺「遍照山根本院阿弥陀寺」がある。
ここの辺りは二つの川に挟まれた場所で、昔は内海が広がっていたと思う。
この街道(県道5号線)の北側は少し高台となっていて根本小学校などがありこの麓に寺はある。
「時宗」を開いた一遍上人が、鎌倉時代の弘安年間(1278~88年)にこの地を訪れ、草庵を結んだのが阿弥陀寺の始まりとされる。
珍しい「寝釈迦像」があり、毎月8日の縁日と6月8日の花祭りに見ることができるそうです。
特に6月8日の花まつり(屋台も出てにぎやかだと言う)には近隣から多くの年配者が訪れる。
みな腰巻の布を手にこの寺から1km程西へ行ったお堂(羽黒山釈迦堂)に集まり朱印を押してもらう。
そうすると一生下の世話にならずに往生できるという。(腰巻おがみ:江戸時代初期から現在まで続く)

ここは根本地区でもそれほど高い位置に無く、できたのも鎌倉時代と言うので古東海道に結びつく何かがあるかとも思ったが何もその痕跡はなかった。

時宗は浄土宗の一派とされ、石岡にも「華園寺」がある。
この華園寺は弘安4年(1281)に遊行2代真教上人が、常陸国巡行の折に建立したと言われており、この時代には上総から常陸国には布教に訪れていたものと思う。






(一遍上人像)
さて、釈迦堂はこの寺の境内ではなく西へ1kmほど行ったところにある。
「釈迦如来涅槃像」は(こちら参照)像長約2mで、 江戸時代初期の製作と推定されている。
(茨城県の文化財)
釈迦堂を建立した順西和尚が上総国から担いできたものだという。 ここは常陸国だが上総国と混じり合ったような場所だと思う。
昔の常陸国への入口(榎浦の津)というイメージはわかなかった。
ただ常陸国風土記に「葦原」と書かれた場所はこんな場所だったのかもしれないとも思った。
しかし釈迦堂はすぐには場所がわからず行かずじまいであった。
また次回に譲ろう。
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まだ夏が終わってしまっては困るのでしょう。ツクツクボーシがまだ鳴いていないんです。
それからこの辺りにはまだクマゼミは進出しておりません。茨城では聞いたことが無いんです。
クマゼミは子供の頃に横浜にはいました。静岡などでは朝からうるさくて大変でした。
さて、江戸崎から成田方面に進み小野川を渡って、新利根川手前の新利根町「角崎」信号を西に少し入った根本と言う場所に時宗の寺「遍照山根本院阿弥陀寺」がある。
ここの辺りは二つの川に挟まれた場所で、昔は内海が広がっていたと思う。
この街道(県道5号線)の北側は少し高台となっていて根本小学校などがありこの麓に寺はある。
「時宗」を開いた一遍上人が、鎌倉時代の弘安年間(1278~88年)にこの地を訪れ、草庵を結んだのが阿弥陀寺の始まりとされる。
珍しい「寝釈迦像」があり、毎月8日の縁日と6月8日の花祭りに見ることができるそうです。
特に6月8日の花まつり(屋台も出てにぎやかだと言う)には近隣から多くの年配者が訪れる。
みな腰巻の布を手にこの寺から1km程西へ行ったお堂(羽黒山釈迦堂)に集まり朱印を押してもらう。
そうすると一生下の世話にならずに往生できるという。(腰巻おがみ:江戸時代初期から現在まで続く)

ここは根本地区でもそれほど高い位置に無く、できたのも鎌倉時代と言うので古東海道に結びつく何かがあるかとも思ったが何もその痕跡はなかった。

時宗は浄土宗の一派とされ、石岡にも「華園寺」がある。
この華園寺は弘安4年(1281)に遊行2代真教上人が、常陸国巡行の折に建立したと言われており、この時代には上総から常陸国には布教に訪れていたものと思う。






(一遍上人像)
さて、釈迦堂はこの寺の境内ではなく西へ1kmほど行ったところにある。
「釈迦如来涅槃像」は(こちら参照)像長約2mで、 江戸時代初期の製作と推定されている。
(茨城県の文化財)
釈迦堂を建立した順西和尚が上総国から担いできたものだという。 ここは常陸国だが上総国と混じり合ったような場所だと思う。
昔の常陸国への入口(榎浦の津)というイメージはわかなかった。
ただ常陸国風土記に「葦原」と書かれた場所はこんな場所だったのかもしれないとも思った。
しかし釈迦堂はすぐには場所がわからず行かずじまいであった。
また次回に譲ろう。


寝釈迦と言うのはお釈迦様が亡くなられた時のお姿です。
昼寝しているお姿ではありません。
頭を西にだから頭は左、右側臥位で横たわっています。