神宮寺(稲敷)
稲敷市の阿波に全国の大杉神社の総本山がある。
その少し手前に「神宮寺」という信号があり前から気になっていた。
神宮寺と言うのは神社が神仏分離させられた時に、神社境内などに造られた寺(神社の別当寺)をいうので、大杉神社の別当かとも思ったが、大杉神社には神社の隣に「安穏寺」があり、こちらが別当であるから何故ここに神宮寺という地名があるのだろうかと思ったのである。
ただ通りを通っていただけではこの寺らしきものもなく地名だけが残ったものかなどとも考えていました。
しかし、調べて見るとこの神宮寺がありました。
寺は新しくなっていますが、その隣に大きな仁王門と奥に観音堂が残されていました。

これが仁王門です。
この寺(補陀落山蓮華院)の歴史は古く、大同元年(806年)満願上人が開山したとも伝えられるという。
これがまたよく分からない。これほど古くなるとますますわからない。
満願上人、万巻上人、萬巻上人などみな同じ人物とされ、一万巻にも及ぶ経典を読んだために万巻とよばれたという。また757年に箱根山に入り、箱根権現を開いたと言われる人物のようです。
また、天平勝宝年間(749~757年)に鹿島神宮に神宮寺を建てた人物ともいわれています。
この頃に神仏習合はこの満願上人によるところが大きいようで、日本各地の神社に神宮寺ができたのはこの満願上人の影響が大きいらしい。
このため各地の神宮寺が満願上人の建立と言う伝説を持つとしてもおかしくない。

この仁王門の像は湛慶(たんけい)作とも言われています。
湛慶は運慶の子供で、鎌倉時代を代表する仏師ですので、もし本当なら国宝に指定されているでしょう。

時代は鎌倉よりも後のように感じますので、これも少し違うかもしれません。
でもなかなか見ごたえがあります。

仁王門から奥に「観音堂」が見えてきました。

続きはまた明日かきます。
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その少し手前に「神宮寺」という信号があり前から気になっていた。
神宮寺と言うのは神社が神仏分離させられた時に、神社境内などに造られた寺(神社の別当寺)をいうので、大杉神社の別当かとも思ったが、大杉神社には神社の隣に「安穏寺」があり、こちらが別当であるから何故ここに神宮寺という地名があるのだろうかと思ったのである。
ただ通りを通っていただけではこの寺らしきものもなく地名だけが残ったものかなどとも考えていました。
しかし、調べて見るとこの神宮寺がありました。
寺は新しくなっていますが、その隣に大きな仁王門と奥に観音堂が残されていました。

これが仁王門です。
この寺(補陀落山蓮華院)の歴史は古く、大同元年(806年)満願上人が開山したとも伝えられるという。
これがまたよく分からない。これほど古くなるとますますわからない。
満願上人、万巻上人、萬巻上人などみな同じ人物とされ、一万巻にも及ぶ経典を読んだために万巻とよばれたという。また757年に箱根山に入り、箱根権現を開いたと言われる人物のようです。
また、天平勝宝年間(749~757年)に鹿島神宮に神宮寺を建てた人物ともいわれています。
この頃に神仏習合はこの満願上人によるところが大きいようで、日本各地の神社に神宮寺ができたのはこの満願上人の影響が大きいらしい。
このため各地の神宮寺が満願上人の建立と言う伝説を持つとしてもおかしくない。

この仁王門の像は湛慶(たんけい)作とも言われています。
湛慶は運慶の子供で、鎌倉時代を代表する仏師ですので、もし本当なら国宝に指定されているでしょう。

時代は鎌倉よりも後のように感じますので、これも少し違うかもしれません。
でもなかなか見ごたえがあります。

仁王門から奥に「観音堂」が見えてきました。

続きはまた明日かきます。


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