高田神社(稲敷)
先日から紹介している神宮寺と関係のある神社(別当)が今回紹介する高田神社です。
あまり知られていないようですが昔の地形を想像すると小野川を挟んで江戸崎と対峙する位置にありますので重要な神社だったのかもしれません。
江戸崎には天海大僧正もいたことのある「天台宗の江戸崎不動院」があります。

江戸崎と神宮寺を結ぶ県道107号線の通り沿いに高田神社の鳥居が建っています。

そこから拝殿まで両側を木々に覆われた長い参道(約140m)が続きます。

竹林があったり・・・。茨城県の自然環境保全地域に指定されています。

神社によくある夫婦杉? には別な木が宿り木して根を絡ませています。
周りは特に住宅街でもなく山奥と言うわけでもない場所です。

しばらく行くと二の鳥居がありその奥に拝殿が見えます。

正面に拝殿が見えました。比較的新しく建て直したもののようです。
比較的立派です。格式が高いような雰囲気も感じます。

神社の由緒書きです。
創建は平安時代半ばに起こった平将門の乱を治めるために承平年間(931~937年)に朱雀天皇の命で熊野大社から分霊を勧請して建てられたものだと言う。また熊野神社から13人の僧侶もこの地にきたとされています。
しかし、2日前に書いた南北朝時代に神宮寺城に籠城した南朝方の北畠親房に神官たちも味方し、南朝方が破れてしまい、この領域(神領)も北朝方に没収されてしまったようです。
その後の記録では鎌倉時代に源頼朝が文治年間(1185~89年)に奥州合戦の戦勝を祈願して参拝したと伝えられ、また徳川家康公にも御朱印地の奉納を受けたと伝わっています。
神社の建物は享保18年(1733年)に建てられた社殿が残っていたが、平成2年に火事により焼失してしまい、平成9年(1997年)に再建されたものです。

まだ新しい拝殿と本殿ですが、立派な建物です。

境内社です。
高田神社の主祭神は伊邪奈岐命(イザナギノミコト)です。
でもその他の神様の数はたくさんいます。全部で18神です。中には徳川家康公もいますね。
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あまり知られていないようですが昔の地形を想像すると小野川を挟んで江戸崎と対峙する位置にありますので重要な神社だったのかもしれません。
江戸崎には天海大僧正もいたことのある「天台宗の江戸崎不動院」があります。

江戸崎と神宮寺を結ぶ県道107号線の通り沿いに高田神社の鳥居が建っています。

そこから拝殿まで両側を木々に覆われた長い参道(約140m)が続きます。

竹林があったり・・・。茨城県の自然環境保全地域に指定されています。

神社によくある夫婦杉? には別な木が宿り木して根を絡ませています。
周りは特に住宅街でもなく山奥と言うわけでもない場所です。

しばらく行くと二の鳥居がありその奥に拝殿が見えます。

正面に拝殿が見えました。比較的新しく建て直したもののようです。
比較的立派です。格式が高いような雰囲気も感じます。

神社の由緒書きです。
創建は平安時代半ばに起こった平将門の乱を治めるために承平年間(931~937年)に朱雀天皇の命で熊野大社から分霊を勧請して建てられたものだと言う。また熊野神社から13人の僧侶もこの地にきたとされています。
しかし、2日前に書いた南北朝時代に神宮寺城に籠城した南朝方の北畠親房に神官たちも味方し、南朝方が破れてしまい、この領域(神領)も北朝方に没収されてしまったようです。
その後の記録では鎌倉時代に源頼朝が文治年間(1185~89年)に奥州合戦の戦勝を祈願して参拝したと伝えられ、また徳川家康公にも御朱印地の奉納を受けたと伝わっています。
神社の建物は享保18年(1733年)に建てられた社殿が残っていたが、平成2年に火事により焼失してしまい、平成9年(1997年)に再建されたものです。

まだ新しい拝殿と本殿ですが、立派な建物です。

境内社です。
高田神社の主祭神は伊邪奈岐命(イザナギノミコト)です。
でもその他の神様の数はたくさんいます。全部で18神です。中には徳川家康公もいますね。


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