祭りも近く?
夏も終わりに近づきました。
土曜日に出かけていましたが、あちこちで夏祭りが行われたようです。
処暑をすぎ暑さもようやくおさまってきました。
またあさの日の出が遅くなってきましたね。
今朝も朝5時ころから近所をウォーキングしてきましたが、曇っていたせいもありまだ暗い感じですね。
石岡のお祭りも大分近づいてきましたのでどこか華やいできたような・・・そわそわしてきたようでもあります。
今年は富田町が年番のようで「北向観音堂」の隣(神輿が置かれている小屋)を整理し始めました。

総社宮でもこんな看板が作られていました。
確かに今までのものと大分トーンが抑えられているようです。

ここに書かれているように総社の例大祭は江戸時代に奉納相撲が行われていたことくらいでしょう。
中町の今のまちかど情報センター近くにあった(牛頭)天王社(後に八坂神社となりその後無くなってしまいました)と木の地町の愛宕神社の祭礼が似た時期6月頃?あり、色々な出し物があったようです。
石岡は明治維新頃は天狗党騒乱で大変だったようです。
祭りどころではなかったのでしょう。
祭りも絶えて、寂しくなり明治半ば過ぎて何とか町の元気な象徴として今の祭りを作り上げたのです。
当時の人の意気込みはすごいですね。最初の頃は今みたいににぎやかなものではなかったのですが次第に大きくし、感と三大祭りと自負するまでになったのですから先人の知恵と心意気に拍手を送りましょう。
佐原の祭りなども見ましたが、同じ江戸の山車の構造であるのに違いも目立ちました。
石岡の山車は台が回転します。佐原は長いテコ棒を使って方向転換します。
石岡は電柱が地中化され自由に動かせたくさん並べば迫力があります。
駅前の八間道路も昭和4年の大火の後に天皇陛下が来られる時に合わせて整備しました。
もう一昔もふた昔も前です。
石岡の幌獅子は他には無いもので面白いものです。

総社のご神木の楠の木です。
拝殿のすぐ前にありますが、拝殿が焼けた時にこの木も一部焼けてしまいました。
でも元気に今でもその雄姿を見せてくれます。

まあ、県下第一の大クスとありますが、樹齢600年程は、千葉県香取市にある国の天然記念物「府馬の大クス」の樹齢が1300年~1500年と言われているのでその半分くらいです。(記事はこちら)

石岡市の下水マンホールもカラーの祭りバージョンがあちこちにあります。
← よろしければクリックお願いします。
土曜日に出かけていましたが、あちこちで夏祭りが行われたようです。
処暑をすぎ暑さもようやくおさまってきました。
またあさの日の出が遅くなってきましたね。
今朝も朝5時ころから近所をウォーキングしてきましたが、曇っていたせいもありまだ暗い感じですね。
石岡のお祭りも大分近づいてきましたのでどこか華やいできたような・・・そわそわしてきたようでもあります。
今年は富田町が年番のようで「北向観音堂」の隣(神輿が置かれている小屋)を整理し始めました。

総社宮でもこんな看板が作られていました。
確かに今までのものと大分トーンが抑えられているようです。

ここに書かれているように総社の例大祭は江戸時代に奉納相撲が行われていたことくらいでしょう。
中町の今のまちかど情報センター近くにあった(牛頭)天王社(後に八坂神社となりその後無くなってしまいました)と木の地町の愛宕神社の祭礼が似た時期6月頃?あり、色々な出し物があったようです。
石岡は明治維新頃は天狗党騒乱で大変だったようです。
祭りどころではなかったのでしょう。
祭りも絶えて、寂しくなり明治半ば過ぎて何とか町の元気な象徴として今の祭りを作り上げたのです。
当時の人の意気込みはすごいですね。最初の頃は今みたいににぎやかなものではなかったのですが次第に大きくし、感と三大祭りと自負するまでになったのですから先人の知恵と心意気に拍手を送りましょう。
佐原の祭りなども見ましたが、同じ江戸の山車の構造であるのに違いも目立ちました。
石岡の山車は台が回転します。佐原は長いテコ棒を使って方向転換します。
石岡は電柱が地中化され自由に動かせたくさん並べば迫力があります。
駅前の八間道路も昭和4年の大火の後に天皇陛下が来られる時に合わせて整備しました。
もう一昔もふた昔も前です。
石岡の幌獅子は他には無いもので面白いものです。

総社のご神木の楠の木です。
拝殿のすぐ前にありますが、拝殿が焼けた時にこの木も一部焼けてしまいました。
でも元気に今でもその雄姿を見せてくれます。

まあ、県下第一の大クスとありますが、樹齢600年程は、千葉県香取市にある国の天然記念物「府馬の大クス」の樹齢が1300年~1500年と言われているのでその半分くらいです。(記事はこちら)

石岡市の下水マンホールもカラーの祭りバージョンがあちこちにあります。


この記事は総社宮の禰宜さんに聞いて書かれたようです。
石岡のおまつりはどういう訳だか総社の祭りで大昔から続いていると思っている人も多い。
でもそれが違うというと石岡がけなされたとでも思い反発するか、しょげてしまうかのどちらかなのです。
関東三大祭りというキャッチフレーズも歴史的に見ておかしいという人もいます。
これについては同じ「ふるさと風」の7月号に崙書房の太田さんの記事が搭載されています。
でも今のままでは祭りも次第に下り坂に向かうのではないかと危惧します。
新しい風を入れながら今までの人たちの気持ちも大切に理解して発展していく必要を感じます。
おっしゃるように祭りに参加している人たちの普段とは違った表情やおめかし姿は本当に印象的ですね。
離れていても思い出すものだと思います。
コメントありがとうございました。