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古東海道常陸ルートの一つの考え

 このブロクは、常陸国府としての石岡が古代の東海道の終点であったことから連想される風景、風習などを考えて進めてきました。
でも一向に下総から常陸のルートが見えてきません。
時代により大きくそのルートが変更されたためと思われます。
ですからどんなルートを考えても一部はきっと正解になるのかもしれません。

ここは専門の情報誌でもないので、ここに適当な思いや思いついたことを書いても特に影響もないでしょう。
またこれを信じられても困ります。
その点はご了解のうえ、こんなルートも考えられるという程度にとどめておいてください。
(専門家の方からは多分一笑にふされるかもしれません)


kodou01_20140828160304aba.jpg
(FloodMapsを使って海面高さを+7mした時の地図にルートを書きこんでいます)

 横須賀走水より東京湾を舟で千葉県富津岬近辺に渡り、上総国国府(五井駅近く市川市市役所付近)にやってきます。
ここから下総に行くのですが、上総介などの動向などを見て行くともっと九十九里の方に住んだりしているように思います。

東海道の国司のルートは国道16号、14号と進めば今の道とは当然異なると思うが、下総国国府(市川市国府台付近)にたどりつく事ができる。

さて、そこから先のルートが決まらない。
この原因は、昔は霞ヶ浦、印旛沼、今の利根川などが一体となった大きな内海(香取の海、○○の流れ海などと呼ばれた)となっていて、牛久沼も洪水などで道が変更となり、さらに土浦あたりは古代の東京と同じようにまだ湿地帯となっていたことが挙げられます。

しかし最も大きな要素は、徳川幕府が進めた利根川の東遷工事の影響が大きかったようです。

それまで豊かに稲作や漁業で邑が発達していたところが、洪水が頻繁に起こり、川の上流の土砂が大量に流れてきて地形が大きく変わってしまったことではないかと思います。

そのため、今の街並みなどを見ても昔の流れが見えてきません。

それなら思いきって大胆に推察してみたのが上の地図です。

その考え方のポイントとなったのは「榎浦の津」と場所と「鎌倉街道」および「根本」「牛込・牛渡」「押戸」などの地名です。
市川から北上するルートは松戸、柏、我孫子などを通って布佐へ行くルートを考えるのが一般的です。
戦国時代頃から江戸時代の初めころまではこの布佐から利根町へ渡っていたのはほぼ確実で、そこから北上していたものと考えられています。

牛久沼も時々洪水でこの先のルートもいくつか変更になっています。
しかし、もっと昔の霞ヶ浦を舟で渡ったルートがあったはずなので、このルートを考察する必要があります。

この先は少し考えながらまた2~3回に分けて書いてみたいと思います。

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古東海道 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2014/09/04 20:48
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