粟田の石塔
石岡と隣のかすみがうら市との境界は恋瀬川であるが、どういうわけか染谷地区の隣のこの粟田地区は恋瀬川の石岡寄りにあるが、ここだけがかすみがうら市(旧千代田村)に組み込まれている。
なにか旧志筑藩に組み込まれた歴史的な背景があるのだろう。
昔の常陸国府(石岡)から筑波山への登り口はおそらくこの辺り(五輪堂橋)で通り恋瀬川を渡って行ったもの特異論している。(前に府中街道として書いた)
ここにかなり古い珍しい石塔がある。
あまり見向きもされないが先日志筑方面から風土記の丘方面に行く時に思い出して立寄った。

特に銅と言うこともない石の塔だが、大きな五輪塔などを見慣れてくるとあまり迫力は感じない。

製作年代は安土桃山時代と考えられています。

高さ158cmからなる六地蔵型石幢で、竿石・中台・幢・宝珠からなっている。
灯籠とされることが多いが、火袋部にあたるものがなく幢を意味する六面の幢に地蔵が彫り出されている。
安土・桃山時代頃の作品と考えられ、主に県南地域によくみられるもので、完全な形を保っているのは少なく貴重な石幢(せきどう)である。平成15年10月1日に町(旧千代田町)の指定文化財となる。
(上から宝珠・請花・笠・幢・中台・竿・基礎となる)
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なにか旧志筑藩に組み込まれた歴史的な背景があるのだろう。
昔の常陸国府(石岡)から筑波山への登り口はおそらくこの辺り(五輪堂橋)で通り恋瀬川を渡って行ったもの特異論している。(前に府中街道として書いた)
ここにかなり古い珍しい石塔がある。
あまり見向きもされないが先日志筑方面から風土記の丘方面に行く時に思い出して立寄った。

特に銅と言うこともない石の塔だが、大きな五輪塔などを見慣れてくるとあまり迫力は感じない。

製作年代は安土桃山時代と考えられています。

高さ158cmからなる六地蔵型石幢で、竿石・中台・幢・宝珠からなっている。
灯籠とされることが多いが、火袋部にあたるものがなく幢を意味する六面の幢に地蔵が彫り出されている。
安土・桃山時代頃の作品と考えられ、主に県南地域によくみられるもので、完全な形を保っているのは少なく貴重な石幢(せきどう)である。平成15年10月1日に町(旧千代田町)の指定文化財となる。
(上から宝珠・請花・笠・幢・中台・竿・基礎となる)


軍隊の演習を展開するには広い場所が必要でしょうが、恋瀬川の周囲に広がる田圃の稲刈りあとを使ったのでしょう。たしか『石岡の肖像』に写真が1枚あります。
この演習をしたのが石岡の大火からの復興と関係があったようです。
わずか半年くらいの間に御幸通りなどができたようですね。すごいパワーを感じます。
この山の上など狭い場所だと思うのですが良く演習をやりましたよね。
御野立所というようです。
ふもと近くに「御野立庵」という蕎麦屋さんができて昔知りました。
昔記事にしました。
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-227.html
私も登っていませんので今度一度登ってみます。