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おなばけ通り

 昨日書いた牛久助郷一揆は「女化原(おなばけはら)」一体の一揆であった。
この女化(おなばけ)には女化神社(こちら)があり、この神社敷地が牛久市の中で龍ヶ崎市の飛び地(馴馬町)となっている。

ここから龍ヶ崎の市街に通じる道(県道48号線)に「おなばけ通り」と書かれた道路標識や看板がいくつもあった。

そこで龍ヶ崎市のHPで調べて見るとやはり通りにいろいろと名前をつけているそうだ。(龍ヶ崎市ときめきストリート)

下の地図を参照下さい。

前に石岡の通りも名前をつけた方が良いと何度かこのブログに書きましたが、仙台のように愛称や文学者などの名前をつけることはその街に親しみがわくはずです。

外国では通りの名前が住所になっているところもあり、覚えやすいし、そこに歴史や土地のシンボルの名前をつければ自然と名前に関することが頭に入ります。

P8290096s.jpg

さて、女化とはなんとも物騒な感じの名前でもありますが、これも歴史として謂れを知りたいと思いますね。

ryuugasaki.jpg

この龍ヶ崎市の地図に古水戸街道の大まかなルートを載せました。

戦国末期には龍ヶ崎は佐竹氏身内の芦名氏の領地であり、我孫子から成田線沿いに布佐まで来て、ここで川を渡っていました。

最初は佐竹街道でしたが、江戸時代になり水戸街道も最初はこちらを渡っていました。

そののち今の6号国道に近い何本かのルート(牛久沼周りは良く洪水でルートが変っています)や布施街道ができ、こちらのルートは通らなくなっていきました。

今の佐貫駅の少し東側に「若柴宿」という宿場があったのですが、陣屋もおかれず手前の藤代宿や次の牛久宿に対する補完的な宿場であったようです。

でも今度この辺りもあるいて見たいと思っています。

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筑波・土浦・牛久地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/09/02 20:10
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