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古東海道常陸ルートの一つの考え(3)

 古東海道の初期の頃、もしかしたらまだ律令制が敷かれる前の道を追いかけているのだが、わからないのでとりあえずあまり書物に書かれていないルートを一つ提案しています。

ポイントは

1)水戸街道が江戸時代初期まで「布佐」から対岸の利根町布川に渡っていること。
  (布佐=総=麻)

2)芭蕉も鹿島への道はこの布佐から舟で渡っていること。

3)布川から旧文間村へ渡り、そこに鎌倉海道と言われる古道が残されており「押戸」で舟に乗っていること。

4)常陸風土記には信太郡はこの東海道の入口で「榎浦の津」に到着してここが常陸国の入口だと書かれていること。

5)榎の浦も場所が特定されていないが江戸崎が「榎の浦が崎」の名前からきていると考えることができること。

5)信太郡の郡衙が未確定で下君山説が強いが美浦村の「信太(しだ)」にその前の郡衙があったと仮定するといくつかの事象が説明しやすい事。

6)美浦村は昔、「日高見国」といわれ、黒坂命(くろさかのみこと)がここから北を目指したことがうかがえること。

7)陸平(おかだいら)貝塚があり、その近くに「牛込」という地名が残され、対岸のかすみがうら市に「牛渡(うしわた)」地名があり、ここを国司の舟が通った時に残された牛が泳いで渡り力尽きたという伝説が残されていること。

8)石岡の三村地区に「正月平」という地名があり、八幡太郎等の前九年の役でここで正月を迎えたとされること。

9)かすみがうら市の子安神社と胎安神社の間の道(地元では鎌倉街道)が常陸国分尼寺の方からきて、江後田(えごだ)を通り霞ヶ浦につながっていたと伝えられていること。

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さて、今回はもう一つルートを考えていたら共通する地名がでてきました。
それは「根本」です。
利根町押戸には「根本寺」がある。 稲敷市にも根本地区がある。 牛込付近に「根本」「根火」地名がある。
かすみがうら市に南根本、石岡側に北根本がある。ここを結ぶと一つのルートができる。

この根本と言う地名や人名は茨城などに特に多い名前で、一般には藤原秀郷の末裔の小野崎氏の一族が、美浦村の根本地区、または稲敷市の根本地区に住み根本氏となり、佐竹氏の秋田転封に伴って秋田にもひろがっていること。

なぜこれが古道と結びつくかははっきりしませんが、根本(ねもと、こんぽん)は仏教伝播、阿弥陀仏のルート、地域で中心になった場所に着いた名前ではないかと勝手に推察したものです。

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まあ、これは、他の文献などには書かれたものが無いので私的な推論に過ぎません。

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古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/09/06 19:19
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