泉光寺(2)
夏の初め頃(7月)から毎朝早起きしてウォーキングをしていたのですが、少し疲れがでて調子が崩れてきましたので先週末から少しお休みしています。
2~3日おかしかったのですが大分戻ってきました。
涼しくなりましたのでゆっくり眠れますね。
石岡は今週末からの祭りで街中はバタバタしています。
明日は風の会の100号記念号(臨時会報)の印刷です。
皆さんの原稿が多くなりページも増えて大変ですが嬉しい悲鳴です。
さて、今日は昨日の泉光寺の続きです。
入口の仁王門をくぐるとイチョウの木と本堂が見えます。

本堂は天保15年(1844)12月、 大工新右衛門の再建と棟札にあるそうです。

創建がはっきりしない寺ですが、行基菩薩がここを通って常陸国に行ったなら奈良朝にここを通るルートがあったことになります。
行基の話は常陸国にも数々あります。

本尊は、鎌倉時代末に作られた「木造観世音菩薩立像」であり、高僧「行基が常陸の国に行く途中、 奥山の近くを通りかかると、沼の中から光明を放つものがあり、近づくとそれは一個の浮木だった。
行基はそれを拾い、奥山に上り、観音経を唱えながら、三日三晩寝ずに仏像を彫り上げた」といわれています。


泉光寺入口から布佐・布川方面を望みます。
ここは高台で、この右手はもえぎの台という住宅街になっています。
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2~3日おかしかったのですが大分戻ってきました。
涼しくなりましたのでゆっくり眠れますね。
石岡は今週末からの祭りで街中はバタバタしています。
明日は風の会の100号記念号(臨時会報)の印刷です。
皆さんの原稿が多くなりページも増えて大変ですが嬉しい悲鳴です。
さて、今日は昨日の泉光寺の続きです。
入口の仁王門をくぐるとイチョウの木と本堂が見えます。

本堂は天保15年(1844)12月、 大工新右衛門の再建と棟札にあるそうです。

創建がはっきりしない寺ですが、行基菩薩がここを通って常陸国に行ったなら奈良朝にここを通るルートがあったことになります。
行基の話は常陸国にも数々あります。

本尊は、鎌倉時代末に作られた「木造観世音菩薩立像」であり、高僧「行基が常陸の国に行く途中、 奥山の近くを通りかかると、沼の中から光明を放つものがあり、近づくとそれは一個の浮木だった。
行基はそれを拾い、奥山に上り、観音経を唱えながら、三日三晩寝ずに仏像を彫り上げた」といわれています。


泉光寺入口から布佐・布川方面を望みます。
ここは高台で、この右手はもえぎの台という住宅街になっています。


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