長泉寺(旭市)
昨日の秋葉神社と並んで「長泉寺」がある。
秋葉神社がこの寺の裏山にある位置関係となる。
曹洞宗、山号は高巌山。
室町時代の享禄2年(1529)に鏑木城主鏑木信濃守胤定か建立したと書かれている。

県道側から秋葉神社への入り口のすぐ近くに寺への入口参道がある。
しかしこの寺の本来の入口が旧道側(この入口の左側)にあるようだ。


寺の本堂と山門。本来の入口がこちらにある。
そしてこの本堂の裏手を登ったところに、昨日紹介した秋葉神社がある。(但しつながってはいない)

この寺にも南北朝時代の板碑がある。
文和5年(1356)の銘がある。寺の創建よりだいぶ前だ。
この頃にこの梵字(キリーク)が彫られた板碑がこの辺りに多い。
下総板碑(板石卒塔婆)だが、この石は筑波山で産出したものが多いと言うのでこれもそうなのか?

この匝瑳、旭あたりから筑波山東南側との間に人の流れがありそうだ。
この板碑なども前につくば市北条で見たものと似ている気がする。(こちら)
どうやら鎌倉時代から室町時代あたりまでこの辺りに分布しているようだ。

こちらにも庚申塔があった。
この寺や神社についてはあまり説明されているものが少ない。
地元の市史などを調べれば良いのだろうが、そんな時間は無い。
物足りないがとりあえずの紹介としておきます。
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秋葉神社がこの寺の裏山にある位置関係となる。
曹洞宗、山号は高巌山。
室町時代の享禄2年(1529)に鏑木城主鏑木信濃守胤定か建立したと書かれている。

県道側から秋葉神社への入り口のすぐ近くに寺への入口参道がある。
しかしこの寺の本来の入口が旧道側(この入口の左側)にあるようだ。


寺の本堂と山門。本来の入口がこちらにある。
そしてこの本堂の裏手を登ったところに、昨日紹介した秋葉神社がある。(但しつながってはいない)

この寺にも南北朝時代の板碑がある。
文和5年(1356)の銘がある。寺の創建よりだいぶ前だ。
この頃にこの梵字(キリーク)が彫られた板碑がこの辺りに多い。
下総板碑(板石卒塔婆)だが、この石は筑波山で産出したものが多いと言うのでこれもそうなのか?

この匝瑳、旭あたりから筑波山東南側との間に人の流れがありそうだ。
この板碑なども前につくば市北条で見たものと似ている気がする。(こちら)
どうやら鎌倉時代から室町時代あたりまでこの辺りに分布しているようだ。

こちらにも庚申塔があった。
この寺や神社についてはあまり説明されているものが少ない。
地元の市史などを調べれば良いのだろうが、そんな時間は無い。
物足りないがとりあえずの紹介としておきます。


小さなことでも感銘できる表現手法がとても良いと思いました。
まだまだこの続きを期待しています。
> 小さなことでも感銘できる表現手法がとても良いと思いました。
> まだまだこの続きを期待しています。
これも結構5年も続けているのでライフワークのようになり始めています。
何とかまだ続けられれば続けたいのですが少しネタ切れですね。