日鉱記念館(1)
日鉱記念館は大煙突などの工場から少し上流に行ったトンネル入り口付近にある。
赤沢鉱山時代から久原房之助がこの鉱山を買い取り、久原鉱業所、日立鉱山時代。
またそこから鉱山王とも呼ばれ、数々の関連企業ができて行った歴史がここには保存されていました。
もちろん本体はその後日本鉱業所となりジャパンエナジー、JX日鉱日石などとなり関連する企業は多く存在します。
ここの工作部門が独立したのが日立製作所であり、日産自動車なども基はこの久原鉱業所、久原財閥といってもよいでしょう。

こんな立派な建物がほぼ休みなく(月曜日は休み)無料で開かれているとは知らなかったのです。
この記念館がここ日立鉱山の跡地に建てられたのは1986年だそうです。
日立鉱山は今では採掘は行われていません。1965年(昭和40年)で鉱山としては閉山されました。

受付で内部の写真撮っても良いか確認したところ、「いいですよ」とあっさり許可をいただきました。
来る機会もあまりないのでたくさん写真を撮ってしまいました。
あまり説明はしませんので記念館の本館内部の写真を紹介します。

日立鉱山は主に銅の採掘が主だったようです。これは入口に置かれていたこの地域で掘りだされた鉱石です。

1階の展示室は創業当時の写真や記録の数々が展示されています。

この千年杉は鉱山の工場を建築する場所にあった杉で、何とか残そうとしたが切らざるを得ないこととなり、この杉の木を使って神戸の自宅に観音堂を作ったのです。
現在はこの観音堂はこの記念館敷地内に移設されて展示されています。



仕切られた内部の展示室には世界の鉱山の鉱石および、国内の色々場場所の鉱石が展示されています。
これだけ集められているところも少ないのではないかと思います。

ダイヤモンド試錐機(掘削機)。その他当時の映写機などもありました。




階段を上った上の階には日立の大煙突の歴史や写真、図面などが飾られていました。


展示室2階室内からの外の眺め



屋外には「鉱山資料館」「旧久原本部(県指定史跡)」などのほか色々な展示物があります。
長くなりましたので明日にまた続きを載せます。
私が見たかったのはこちらの「鉱山資料館」です。
これは昔の鉱山で使われた木造のコンプレッサー室(太平洋戦争中の1944年に建てられたもの)がそのまま保存されているのです。
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赤沢鉱山時代から久原房之助がこの鉱山を買い取り、久原鉱業所、日立鉱山時代。
またそこから鉱山王とも呼ばれ、数々の関連企業ができて行った歴史がここには保存されていました。
もちろん本体はその後日本鉱業所となりジャパンエナジー、JX日鉱日石などとなり関連する企業は多く存在します。
ここの工作部門が独立したのが日立製作所であり、日産自動車なども基はこの久原鉱業所、久原財閥といってもよいでしょう。

こんな立派な建物がほぼ休みなく(月曜日は休み)無料で開かれているとは知らなかったのです。
この記念館がここ日立鉱山の跡地に建てられたのは1986年だそうです。
日立鉱山は今では採掘は行われていません。1965年(昭和40年)で鉱山としては閉山されました。

受付で内部の写真撮っても良いか確認したところ、「いいですよ」とあっさり許可をいただきました。
来る機会もあまりないのでたくさん写真を撮ってしまいました。
あまり説明はしませんので記念館の本館内部の写真を紹介します。

日立鉱山は主に銅の採掘が主だったようです。これは入口に置かれていたこの地域で掘りだされた鉱石です。

1階の展示室は創業当時の写真や記録の数々が展示されています。

この千年杉は鉱山の工場を建築する場所にあった杉で、何とか残そうとしたが切らざるを得ないこととなり、この杉の木を使って神戸の自宅に観音堂を作ったのです。
現在はこの観音堂はこの記念館敷地内に移設されて展示されています。



仕切られた内部の展示室には世界の鉱山の鉱石および、国内の色々場場所の鉱石が展示されています。
これだけ集められているところも少ないのではないかと思います。

ダイヤモンド試錐機(掘削機)。その他当時の映写機などもありました。




階段を上った上の階には日立の大煙突の歴史や写真、図面などが飾られていました。


展示室2階室内からの外の眺め



屋外には「鉱山資料館」「旧久原本部(県指定史跡)」などのほか色々な展示物があります。
長くなりましたので明日にまた続きを載せます。
私が見たかったのはこちらの「鉱山資料館」です。
これは昔の鉱山で使われた木造のコンプレッサー室(太平洋戦争中の1944年に建てられたもの)がそのまま保存されているのです。


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