龍角寺(1)
千葉県印旛沼周辺に伝わる有名な龍の伝説がある。
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昔々のことです。
印旛沼に沼の主である龍がいました。
この龍はとても人が好きで、時々青年に姿を変えて村人の所に現われて村人と一緒に交流を楽しんでおりました。
村人もこの青年の首にうろこがあることに気が付き、龍であることを知っていたのです。
ある年のこと、 村には毎日毎日激しい日照りが続き、農作物は枯れ、村人たちは日増しに生活は苦しくなっていきました。
その姿を見て胸を痛めたこの龍の青年は、村人への恩返しのため自分の命も惜しまず雨を降らせることを決意しました。
龍はありったけの力で、印旛沼の残りすくなくなった水面から天に向かって昇って行きました。
天に向かって登って行った龍は天をするどく睨みつけました。
すると、たちまち黒雲がたちこめ、あたり一面に雨が降り始めました。
雨はしばらく降り続け、あたりの乾いた地面に潤いをもたらし、やがて轟音と閃光が走りました。
すると天から黒い塊が3つ飛び散り、雨は止みました。
この恵の雨に歓喜している村人のもとへ、どこからか現れた老人が告げました。
「龍は大竜王から雨を降らせることを禁じられていたのだ。しかしその掟をやぶった印旛沼の竜の彼はこの大竜王の怒りに触れ、体を引き裂かれてしまったのだ。」
村人たちは大変悲しみ、龍の亡骸を探し出し、それぞれの体が落ちていた場所に寺を建て、龍の供養をしたのです。
龍の頭(角)が落ちたところには龍角寺、龍の体が落ちたところには龍腹寺、そして龍の尾が落ちたところには龍尾寺となり今に伝わっています。
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龍尾寺は少し離れた東側の匝瑳市大寺にあり、先日紹介しました。(こちら)
佐倉風土記には「和銅2年(709年)の龍女がここに金の薬師如来を祀ったのが始まりだと伝えられる。
その後天平3年(731年)にこの地方が干ばつに見舞われ、印旛沼の竜が天に昇って雨をふらせたが、龍はからだが3つに分かれて別々な場所に落ちたと言われている。
今回は龍角寺を紹介するのですが、この栄町は「龍のまち」ともいうようにこの龍角寺が大きなウェイトを占めている。
龍角寺台などという地名も残されている。
そのため、近くに行けばすぐにわかると思ったが、例によってウロウロしてしまった。
案内も目立たないものであり、道もせまく意外な感じであった。

天竺山寂光院 天台宗の古刹である。 本尊は薬師如来。
龍伝説でもわかる通りこの寺は関東でも屈指の古い寺の一つといわれている。
そして発掘調査の結果もっと古い寺であった可能性も出てきているという。

しかし寺の正面に見える拝殿も、粗末なもので拍子抜け。
この拝殿の裏に収納庫があります。
この寺には国の重要文化財に指定されている白鳳期の銅製薬師如来座像があり、709年の制作と考えられています。
(一部胴体は後に改鋳)
これは許可を事前に得てからでないと見ることは出来ないという。

入口の拝殿前には大きなイチョウの木がありました。
近所の御夫婦でしょうか、一生懸命に銀杏拾いをしていました。
まあこのままにしていてもにおいが臭いだけですから、中の硬い実を取り出すだけでも大変です。

寺の拝殿裏に回って見たらそこには太古の昔にあったとされる寺の伽藍の跡が広がる場所でした。
正面の少し高くなった場所が金堂跡で、礎石なども置かれています。


正面の少し高くなったところが金堂跡。 その先の建物が校倉造りの資料館です。
法隆寺式の七堂伽藍があった割には敷地はせまい。

ここ龍角寺も8世紀初めに創建されたといわれていますが中世には衰退して、承久2年(1220年)に上総介平常秀が再興し、1591年には家康から20石が与えられているそうですが、昔をしのぶ建物は今はありません。
(明日に続く)
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昔々のことです。
印旛沼に沼の主である龍がいました。
この龍はとても人が好きで、時々青年に姿を変えて村人の所に現われて村人と一緒に交流を楽しんでおりました。
村人もこの青年の首にうろこがあることに気が付き、龍であることを知っていたのです。
ある年のこと、 村には毎日毎日激しい日照りが続き、農作物は枯れ、村人たちは日増しに生活は苦しくなっていきました。
その姿を見て胸を痛めたこの龍の青年は、村人への恩返しのため自分の命も惜しまず雨を降らせることを決意しました。
龍はありったけの力で、印旛沼の残りすくなくなった水面から天に向かって昇って行きました。
天に向かって登って行った龍は天をするどく睨みつけました。
すると、たちまち黒雲がたちこめ、あたり一面に雨が降り始めました。
雨はしばらく降り続け、あたりの乾いた地面に潤いをもたらし、やがて轟音と閃光が走りました。
すると天から黒い塊が3つ飛び散り、雨は止みました。
この恵の雨に歓喜している村人のもとへ、どこからか現れた老人が告げました。
「龍は大竜王から雨を降らせることを禁じられていたのだ。しかしその掟をやぶった印旛沼の竜の彼はこの大竜王の怒りに触れ、体を引き裂かれてしまったのだ。」
村人たちは大変悲しみ、龍の亡骸を探し出し、それぞれの体が落ちていた場所に寺を建て、龍の供養をしたのです。
龍の頭(角)が落ちたところには龍角寺、龍の体が落ちたところには龍腹寺、そして龍の尾が落ちたところには龍尾寺となり今に伝わっています。
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龍尾寺は少し離れた東側の匝瑳市大寺にあり、先日紹介しました。(こちら)
佐倉風土記には「和銅2年(709年)の龍女がここに金の薬師如来を祀ったのが始まりだと伝えられる。
その後天平3年(731年)にこの地方が干ばつに見舞われ、印旛沼の竜が天に昇って雨をふらせたが、龍はからだが3つに分かれて別々な場所に落ちたと言われている。
今回は龍角寺を紹介するのですが、この栄町は「龍のまち」ともいうようにこの龍角寺が大きなウェイトを占めている。
龍角寺台などという地名も残されている。
そのため、近くに行けばすぐにわかると思ったが、例によってウロウロしてしまった。
案内も目立たないものであり、道もせまく意外な感じであった。

天竺山寂光院 天台宗の古刹である。 本尊は薬師如来。
龍伝説でもわかる通りこの寺は関東でも屈指の古い寺の一つといわれている。
そして発掘調査の結果もっと古い寺であった可能性も出てきているという。

しかし寺の正面に見える拝殿も、粗末なもので拍子抜け。
この拝殿の裏に収納庫があります。
この寺には国の重要文化財に指定されている白鳳期の銅製薬師如来座像があり、709年の制作と考えられています。
(一部胴体は後に改鋳)
これは許可を事前に得てからでないと見ることは出来ないという。

入口の拝殿前には大きなイチョウの木がありました。
近所の御夫婦でしょうか、一生懸命に銀杏拾いをしていました。
まあこのままにしていてもにおいが臭いだけですから、中の硬い実を取り出すだけでも大変です。

寺の拝殿裏に回って見たらそこには太古の昔にあったとされる寺の伽藍の跡が広がる場所でした。
正面の少し高くなった場所が金堂跡で、礎石なども置かれています。


正面の少し高くなったところが金堂跡。 その先の建物が校倉造りの資料館です。
法隆寺式の七堂伽藍があった割には敷地はせまい。

ここ龍角寺も8世紀初めに創建されたといわれていますが中世には衰退して、承久2年(1220年)に上総介平常秀が再興し、1591年には家康から20石が与えられているそうですが、昔をしのぶ建物は今はありません。
(明日に続く)
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