龍角寺(2)
龍角寺の説明は昨日したので、今日は境内に残されたものを写真で見ていただきましょう。

三重の塔(または五重塔)の礎石(花崗岩)。

この塔の礎石の凹にたまった水は不思議な事にいつも同じ高さの水面を保っており、決して干上がったりあふれたりしないという。
今でもそうなのかは確かめていませんが・・・・。

千葉県指定史跡 龍角寺古瓦保存塚。
昭和9年の調査で発掘された瓦は奈良時代前期のものといわれる。

立派な宝篋印塔がたくさんこの金堂跡の両側に建っている。
何時頃のものか。
この手の宝篋印塔は鎌倉時代以降と思われるので、承久2年(1220年)上総介平常秀が再興した後のものと思われる。
江戸時代のものかもしれない。

それにしてもかなり立派なものでこれだけ並んでいると壮観である。

校倉造り資料館。 明治初期の建造といわれる。
最初に建てられたのは宮内庁下総御料牧場(成田市三里塚)にあったが、成田空港建設でこの地に移された。

この資料館の屋根は藁葺で、その上にトタンで保護しているようである。

この資料館の周りにはたくさんの石像が置かれていました。
真中の石塔に大乗の文字が読めますので六十六部回国記念塔だと思います。


ここの本尊の国の文化財である銅製薬師如来座像は見ることができませんでした。
栄町役場に申請して拝観の許可もらって奉安殿(どこにある?)という収蔵庫を開けてもらう必要があるようです。
(事前予約)
この白鳳期の仏像としては関東では東京調布の深大寺にもあります。
こちらは昔ご開帳している時にガラス越しに見たことがあります。
なかなか素晴らしいものでした。

三重の塔(または五重塔)の礎石(花崗岩)。

この塔の礎石の凹にたまった水は不思議な事にいつも同じ高さの水面を保っており、決して干上がったりあふれたりしないという。
今でもそうなのかは確かめていませんが・・・・。

千葉県指定史跡 龍角寺古瓦保存塚。
昭和9年の調査で発掘された瓦は奈良時代前期のものといわれる。

立派な宝篋印塔がたくさんこの金堂跡の両側に建っている。
何時頃のものか。
この手の宝篋印塔は鎌倉時代以降と思われるので、承久2年(1220年)上総介平常秀が再興した後のものと思われる。
江戸時代のものかもしれない。

それにしてもかなり立派なものでこれだけ並んでいると壮観である。

校倉造り資料館。 明治初期の建造といわれる。
最初に建てられたのは宮内庁下総御料牧場(成田市三里塚)にあったが、成田空港建設でこの地に移された。

この資料館の屋根は藁葺で、その上にトタンで保護しているようである。

この資料館の周りにはたくさんの石像が置かれていました。
真中の石塔に大乗の文字が読めますので六十六部回国記念塔だと思います。


ここの本尊の国の文化財である銅製薬師如来座像は見ることができませんでした。
栄町役場に申請して拝観の許可もらって奉安殿(どこにある?)という収蔵庫を開けてもらう必要があるようです。
(事前予約)
この白鳳期の仏像としては関東では東京調布の深大寺にもあります。
こちらは昔ご開帳している時にガラス越しに見たことがあります。
なかなか素晴らしいものでした。
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