猿田神社の赤レンガ橋
(本日2本目です)
この銚子市にある猿田神社は港に近い街中から見るとかなりの山奥という感じの場所である。
猿田彦が祀られている由緒ある神社で巫女さんもいてかなり大きい神社である。
その猿田神社の脇に鉄道が建設されたのは明治31年(1898)1月のことだ。
今では猿田駅も無人の駅で乗車人員は1日にたったの240人程度だという。

この鉄道のレンガ橋は神社の長い参道の途中に造られた。
鉄道建設時の歴史は、
明治30年(1897)6月に総武鉄道が成東(現山武市)と銚子間が完成。
しかし、この猿田地区も鉄道を通してほしいと要望が出され、猿田神社の敷地を一部提供する(神社宮司)ことで合意されて建設が始まったという。
このレンガの橋(先神橋)は総武鉄道が駅用地などの提供の代わりに立派な橋を作って神社に寄付したものだという。
明治の貴重な遺産であり、歴史も知るとなお赤レンガがいとおしく感じるものである。
この銚子市にある猿田神社は港に近い街中から見るとかなりの山奥という感じの場所である。
猿田彦が祀られている由緒ある神社で巫女さんもいてかなり大きい神社である。
その猿田神社の脇に鉄道が建設されたのは明治31年(1898)1月のことだ。
今では猿田駅も無人の駅で乗車人員は1日にたったの240人程度だという。

この鉄道のレンガ橋は神社の長い参道の途中に造られた。
鉄道建設時の歴史は、
明治30年(1897)6月に総武鉄道が成東(現山武市)と銚子間が完成。
しかし、この猿田地区も鉄道を通してほしいと要望が出され、猿田神社の敷地を一部提供する(神社宮司)ことで合意されて建設が始まったという。
このレンガの橋(先神橋)は総武鉄道が駅用地などの提供の代わりに立派な橋を作って神社に寄付したものだという。
明治の貴重な遺産であり、歴史も知るとなお赤レンガがいとおしく感じるものである。
これだけの私設を鉄道側が作ったのには、オドロキと共にその背景が知りたいです。
> 当時の鉄道事業は結構厳しくて、武蔵では明治27年に国分寺停車場から川越へと川越線敷設されていますが、沿線地域では停車場や川ごしの鉄橋に大騒ぎをしています。
そうですか。
この猿田神社の持つ敷地は広大で、駅などの敷地の提供をした見返りとのこと。
結構由緒があり、皇室とのつながりなどから神社の力も強かったのでしょう。
いまはJRですが、まだ単線なんです。
まだ今のように網の目のように鉄道が張り巡らされるずっと前に、銚子ではこれほどの煉瓦橋が作られていたのですね。私的には世界遺産級の「遺構」です。
「遺構」ではないのはよくわかっているのですが、
そう感じました。
お晩です、Romanさん、素晴らしい記事をありがとうございます、またお邪魔します。
魅力的ですね。
関東大震災以降はほとんどレンガ造りが無くなりましたが
当時の物がこうして残っていますのでもう一度考え直しても良いように思っています。
あちこちにあるので探すのも楽しみです。
コメントありがとうございました。