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赤レンガ塀(石岡)

 石岡の街中にも所々に赤レンガの塀や煙突が残されている。

その多くは昔ここ石岡に醸造所がいっぱい立ち並んでいた場所の名残である。

明治22年春にここを訪れた正岡子規は「水戸紀行」の中でこう記している。

「筑波へ行く道は左へ曲れと石の立ちたるを見過して筑波へは行かず草臥ながらも中貫、稻吉を經て感心にも石岡迄辿りつき萬屋に宿を定む 石岡は醤油の名處也 萬屋は石岡中の第一等の旅店也 さまて美しくはあらねどもてなしも厚き故藤代にくらぶれば數段上と覺えたり 足を伸ばしたりかゞめたりしながら枕の底へいたづら書なとす」

この醤油工場は今はほとんど消えてしまったが、酒造りは残っている。

さて今日紹介するのは国分寺の門前町の入口にある「青柳新兵衛商店」さんのレンガ塀である。

レンガ塀1

1~2年ほど前まではこのレンガ塀の前に居酒屋さんとガレージがあり、前を通ってもその存在に気がつかない人も多かっただろう。

しかし、その一角にコンビニエンスストアを開店し、この古びた赤レンガまえのガレージなどをすべて取り払った。

レンガ塀2

3年半前の東日本大震災でこの塀も被害を受け、また敷地内にあった蔵などもかなり被害にあった。

青柳新兵衛商店さんは醤油や酒などとは違って、米穀商である。
この国分寺の門前町は水戸街道、笠間街道などが交差する場所でもあり、江戸時代から市で賑わった。

この塀が何時頃作られたかはわからないが明治期の名残なのかもしれない。
どこか懐かしくなるのである。

赤レンガ | コメント(5) | トラックバック(0) | 2014/11/16 15:18
コメント
レンガ造り
 この青柳商店のひとも今は石岡の外で事業をしています。車社会になってから狭い旧市内では商売し難くなり、此処は売られていませんが、事業所兼屋敷が売却されると多くは駐車場になったり他の事業者が新しい施設を作り、古いものはなくなってゆきます。塀は費用をかけて壊すより有ってもよいと判断され最後まで残るかもしれませんが。
 レンガの建築や構築物はすべて関東大震災以前で地震に弱いとわかって廃れたので、もう造られることはないでしょうね。なんとか活かすかたちで残せればと願いますね。
レンガ造り-2
前のコメント、久しぶりのコメントで名前を書き忘れ失礼しました。
No title
こんばんは。イベント広場の近くのレンガ塀ですか?
石岡まつりの時に気になりました。違ったらすみません^^;

街中歩いていると結構、古いレンガ塀を見かけますがやはり、醤油の醸造工場だったのでしょうか。。。

風邪、お大事になさってください。
忠顕 さま
こんばんは。

>  この青柳商店のひとも今は石岡の外で事業をしています。

そうですか。やはり広い便利なところに出て行くのですね。
青柳さんも鹿島鉄道の最初に顔を出しますね。
この前の地震で蔵なども大分修理をせざるを得なかったようです。
敷地の一部にコンビニができて雰囲気も変わりました。
何時までもこの状態では持たないでしょうね。そうしたら消えて行くのでしょう。
どこかさびしい気がします。
蔵は時々コンサートなどもあるようです。(年末?)
竹千代さん
> イベント広場の近くのレンガ塀ですか?

そのとおりです。

> 街中歩いていると結構、古いレンガ塀を見かけますがやはり、醤油の醸造工場だったのでしょうか。。。

ここは米穀商ですから自宅兼店舗などの屋敷の敷地塀です。
でも街中に隠れているレンガ造り塀は醤油やお酒の醸造所ですね。

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