鹿島城山公園(3)
週末に親戚の結婚式があり九州に行ってきました。
先ほど無事に帰ってきました。
茨城空港から福岡まで飛行機で往復しましたが、ここも便利になりましたね。
金曜日の夕方の便で向かったのですが、出発時間が1時間半も遅れて夕方遅く到着する予定が到着したのは夜7時過ぎとなってしまいました。
雨や雪を心配していたのですが、何とかほとんど降られずに助かりました。
こちらの記事はまたあらためて書かせていただきます。
今日は鹿島城山公園のまとめとして、ここ石岡とも歴史的につながりがあるので、少し紹介します。

この鹿島城山公園はその名前の通り、この山の上にお城があった場所です。
鹿島氏は私のいる石岡(府中)の常陸大掾(だいじょう)氏の平氏氏族です。

説明文はクリックすれば読めると思いますが、良くわからない表現で氏族の位置関係がわかりにくいです。
平国香の子である鎮守府将軍平貞盛の甥(養子?)維幹(これもと)が筑波郡水守(みもり)から筑波の多気に移って多気大掾となりますが、その二代後の多気大掾繁幹(しげもと)の三男成幹が鹿島に住み、地頭となってこの鹿島氏になっていったとされています。
また平氏一族ですが源氏とのつながりも深く蝦夷征伐に前九年・後三年の役には源義家にしたがって出陣しているようです。

しかし、戦国末期の動乱時に常陸国を秀吉から任された佐竹氏によって1590年に常陸大掾氏(石岡)が滅ぼされると、翌年二月に鹿島・行方の大掾氏一族「南方三十三館」の城主が太田城に梅見と言われて集められるとここで一気に皆殺しにされ、氏族はことごとく滅ぼされてしまいました。
鹿島城でも城主を失い、反撃に出ますが大砲を使う佐竹氏側の攻撃にこの鹿島城は落城しました。
その後江戸時代になり家康より鹿島氏の再興が許され、鹿島神宮の社人中で三要職の一として続いていったとされます。

先ほど無事に帰ってきました。
茨城空港から福岡まで飛行機で往復しましたが、ここも便利になりましたね。
金曜日の夕方の便で向かったのですが、出発時間が1時間半も遅れて夕方遅く到着する予定が到着したのは夜7時過ぎとなってしまいました。
雨や雪を心配していたのですが、何とかほとんど降られずに助かりました。
こちらの記事はまたあらためて書かせていただきます。
今日は鹿島城山公園のまとめとして、ここ石岡とも歴史的につながりがあるので、少し紹介します。

この鹿島城山公園はその名前の通り、この山の上にお城があった場所です。
鹿島氏は私のいる石岡(府中)の常陸大掾(だいじょう)氏の平氏氏族です。

説明文はクリックすれば読めると思いますが、良くわからない表現で氏族の位置関係がわかりにくいです。
平国香の子である鎮守府将軍平貞盛の甥(養子?)維幹(これもと)が筑波郡水守(みもり)から筑波の多気に移って多気大掾となりますが、その二代後の多気大掾繁幹(しげもと)の三男成幹が鹿島に住み、地頭となってこの鹿島氏になっていったとされています。
また平氏一族ですが源氏とのつながりも深く蝦夷征伐に前九年・後三年の役には源義家にしたがって出陣しているようです。

しかし、戦国末期の動乱時に常陸国を秀吉から任された佐竹氏によって1590年に常陸大掾氏(石岡)が滅ぼされると、翌年二月に鹿島・行方の大掾氏一族「南方三十三館」の城主が太田城に梅見と言われて集められるとここで一気に皆殺しにされ、氏族はことごとく滅ぼされてしまいました。
鹿島城でも城主を失い、反撃に出ますが大砲を使う佐竹氏側の攻撃にこの鹿島城は落城しました。
その後江戸時代になり家康より鹿島氏の再興が許され、鹿島神宮の社人中で三要職の一として続いていったとされます。

コメント