大生神社へ再び
いよいよ年も押し迫りました。
ブログの訪問者も少なくなり、多くのサイトもお休みのようですね。
まあこのブログも休んでも良いのですがせっかくの連続投稿の記録が途絶えますのでどうにかつないでいきたいと思っています。
先日鹿島方面に行く途中で元鹿島と呼ばれる「大生神社」に立ち寄ってみました。

一度来たことがあるので、近くに行って森の中にあるこの神社の場所もすぐにわかりました。
(前の記事はこちら1、こちら2)
このあたりは大生の森が広がっております。
この「大生」という名前もきっとこのあたりに住んだ「多氏(おおし)」の氏族が住みついて呼ばれるようになったものと思っています。
1500~1600年くらい前に古代大和朝廷の氏族の多氏がここに移り住んだのだと思います。
そのため元鹿島とも呼ばれているのだと思います。
常総市に菅原道真にまつわる大生郷天満宮がありますが、こちらは「おおのごう」と読むようです。



この本殿は戦国末期の天正18年(1590年)の建立といわれるのでかなり古い。
この年に石岡の大掾氏の滅んだ年です。
現地の看板に書かれていることを少し載せます。
「大生神社は健御雷之男神(たけみかづちのおがみ)を祭神とする元郷社で、その創紀年代は詳らでないが、鹿島の本宮と云われ古く大和国の飯富(おふ)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、御紀したのに始まるといわれている。・・・・」
時の流れが止まったように静かな森の中に佇むこの古社も時々訪れて見たいと思っています。
ブログの訪問者も少なくなり、多くのサイトもお休みのようですね。
まあこのブログも休んでも良いのですがせっかくの連続投稿の記録が途絶えますのでどうにかつないでいきたいと思っています。
先日鹿島方面に行く途中で元鹿島と呼ばれる「大生神社」に立ち寄ってみました。

一度来たことがあるので、近くに行って森の中にあるこの神社の場所もすぐにわかりました。
(前の記事はこちら1、こちら2)
このあたりは大生の森が広がっております。
この「大生」という名前もきっとこのあたりに住んだ「多氏(おおし)」の氏族が住みついて呼ばれるようになったものと思っています。
1500~1600年くらい前に古代大和朝廷の氏族の多氏がここに移り住んだのだと思います。
そのため元鹿島とも呼ばれているのだと思います。
常総市に菅原道真にまつわる大生郷天満宮がありますが、こちらは「おおのごう」と読むようです。



この本殿は戦国末期の天正18年(1590年)の建立といわれるのでかなり古い。
この年に石岡の大掾氏の滅んだ年です。
現地の看板に書かれていることを少し載せます。
「大生神社は健御雷之男神(たけみかづちのおがみ)を祭神とする元郷社で、その創紀年代は詳らでないが、鹿島の本宮と云われ古く大和国の飯富(おふ)族の常陸移住の際氏神として奉遷し、御紀したのに始まるといわれている。・・・・」
時の流れが止まったように静かな森の中に佇むこの古社も時々訪れて見たいと思っています。
> おおのごうですね。
いえいえ筑西市大生郷八幡(おおのごうはちまん)ではなく、大生(おおう)神社です。
大生郷八幡も日本三大八幡宮の一つと言われる由緒あるのですね。
昔真壁の古墳で記事を書いたことを思い出しました。
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-1254.html
学問の神様のところで名前を授かったのですか?
まああまり私は信用していないので、私にもご利益は来ないですね。
信じるものが・・・でしょうか
> 今年も、記事楽しみにさせて頂きます。
ありがとうございます。
何とか皆さまの応援を励みに頑張っていきたいと思います。