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小舟塚神社

 あまり普段は通ることもない高浜から小美玉市玉里地区の先端をぐるっと回る通りを車で通って見た。

常陸風土記にはこの玉里の語源について次のように書かれている。

「郡より東十里のところに、桑原の岡がある。昔、倭武の天皇が、この岡の上に留まられたとき、神に御食を供へるとともに水部(もひとりべ)に新しい井戸を掘らしめた。この清く香ぐはしい泉の水をおいしさうに飲み干され、「よくたまれる水かな」とおっしゃったので、この里の名を、田餘(たまり)といふやうになった。」

そして昔は玉里ではなく「田余」と書いていたので「たあまり」などとも発音されていたようだ。

この玉里地区の霞ケ浦沿岸部はレンコン畑が一面に広がっており、「よくたまれる水」と言うのも頷ける感がある。

その下玉里から川中子地区に向かう途中に変わった形の小山がポコンとあった。

この県道沿いにポッコリと膨らんだような小山で、まわりはハス畑で表面の水は凍っていた。

小舟塚01

そしてこの山の上に神社がまつられており「小舟塚神社」と書かれていた。

小舟塚02

どうも山も人工的な感じがしたので調べて見るとやはり古墳(大井戸古墳)だという。
前方後円墳であったものが前方部を削られてなくなり、後円部の一部のみになったという。

墳丘長100m級の旧玉里村最大級の古墳だった可能性があるのだそうだが、築堤工事の土砂採取のため大きく削られてしまったという。

近くの有名な三昧塚古墳も削られかけたことがあると聞いているが、何とか貴重な埋蔵物なども見つかり切削を免れたという。

昔は霞ケ浦も良く洪水を起こしたので護岸工事のため近くの小山などが幾つも取り崩された。
この中には多くの古墳が含まれていたものと思うと残念な思いがする。


小舟塚03

神社の祠のところまでの階段を上って見ると、結構見晴らしが良い。
下にはハス畑が広がるが、その先に霞ケ浦が見渡せる。


ところでここを通る道は、地元の人以外にはほとんど車も通らない道であるが県道194号線(宍倉玉里線)だという。
この県道は変わっていて、かすみがうら市(旧出島)の宍倉からこの玉里地区を通って355号線につながっているのだが、霞ケ浦の高浜入りのところで道路は寸断されている。

江戸時代に霞ケ浦の御留川と言われた場所がこの高浜入り部分でここに橋もないのに県道としてはつながっている名称になっている。

小美玉市のあちこちに「早期霞ケ浦二橋の実現を」などとうたっているのはここに橋を通したいからなのかもしれない。
それにしてもまわりはハス畑ばかりであり、人口も多くはなくここに橋を通しても利益を売るのはほんの一握りの住民ばかりという感がぬぐえない。

霞ケ浦二橋というのは土浦側と旧出島側に1本、そしてこの高浜入りに1本の計2本の橋をかけ、道路で土浦側と小美玉側を結ぼうというものである。
行方側に霞ケ浦大橋があるのでこの橋の計画はまだ運動中だけのようだ。

そんなことをせずに発展させたいならもっと別なことに力を入れるべきだと思う。

玉里地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2015/01/06 19:50
コメント
No title
こんばんは~!

古墳が築堤工事で削られたのは非常に残念ですね…
大切に残して、ちゃんと調査して紹介をすれば、
興味を持つ人が増えたかもしれないのに (>_<)
読んでいて、もったいないなぁ~と思ってしまいました

静岡も人が来ない空港作ったり、
危険と言われてる場所の原発を再稼働させようとしたり…
一部の人間と取り巻き連中の利益の為なんでしょうか?

理解に苦しむところがあります…
かるがも@さん

> 古墳が築堤工事で削られたのは非常に残念ですね…
> 大切に残して、ちゃんと調査して紹介をすれば、
> 興味を持つ人が増えたかもしれないのに

もう大分前のことのようですが、この辺りも水害が多くあちらこちらの小山を削って
その土を使ったようです。
ここも石棺やいろいろな埋蔵品もあったらしく調査されて東京へ持っていったといいます。
でもその発掘品が何処にあるか地元では知らないようです。
多分どこかの大学などの発表文献の一部にあるのでしょうが、たしかにもったいないですね。

> 静岡も人が来ない空港作ったり、

よく茨城空港と比較されますね。
なんでも造ること(建設・土木)が目的というようなことはたくさんありますね。
今も景気対策と言って公共事業は後を絶ちません。
仕事がなくなればこれらの人のためにまた仕事を増やすのでしょう。
日本はこのままでは底なし沼に沈んで行きそうで・・・

静岡に大災害が起こらなければいいですね。

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