赤レンガの鉄道ガード
先日銚子の方に出かけた時に、国道356号(利根水郷ライン)から、ある古い神社(等覚寺)に向かって細い道を内陸にはいって行った。
するとまず成田線を踏切で渡り、少し行ったところで総武線の下をくぐるガードがあった。
これが古い赤レンガの壁でできておりなかなか趣がある。

東京駅の近くなどにも赤レンガのガードがいくつか残されているが、このような場所も建設された時から道路の拡張などが無いためにこのように残されてきたと思う。

「総武線(52) 岡之台第2ガード
お願い
自動車等が衝突したのを見た方は、至急御連絡下さい」
と書かれています。
総武鉄道(総国と武蔵国を結ぶ)は明治27年に市川-佐倉間が開通し、明治30年に銚子まで開通したという。
そして両国橋から都心への延伸は明治33年~明治37年だそうです。
ということは都心でガドレール下などに赤レンガの壁などが残されていますが、こちらの方がそれより前に作られたようです。
明治のものがこうして残されているのも感慨深いものがあります。

するとまず成田線を踏切で渡り、少し行ったところで総武線の下をくぐるガードがあった。
これが古い赤レンガの壁でできておりなかなか趣がある。

東京駅の近くなどにも赤レンガのガードがいくつか残されているが、このような場所も建設された時から道路の拡張などが無いためにこのように残されてきたと思う。

「総武線(52) 岡之台第2ガード
お願い
自動車等が衝突したのを見た方は、至急御連絡下さい」
と書かれています。
総武鉄道(総国と武蔵国を結ぶ)は明治27年に市川-佐倉間が開通し、明治30年に銚子まで開通したという。
そして両国橋から都心への延伸は明治33年~明治37年だそうです。
ということは都心でガドレール下などに赤レンガの壁などが残されていますが、こちらの方がそれより前に作られたようです。
明治のものがこうして残されているのも感慨深いものがあります。

一応鍵コメントになっておりメールアドレスも管理者にしかわかりませんが、気になるのならと思いコメントを削除しました。
(アドレスのみの削除ができませんでした)
記事が参考になったのなら嬉しいです。
こんな煉瓦が支えてくれているのですね。
亀戸から走っている越中島線で、同じような風景を
見たのを思い出しました。
作られたのは明治なんでしょうか、大正でしょうか
Romanさんの記事を読んだ中では、明治なんでしょうね。
こんばんは、Romanさん、今年もよろしくお願いします。
どういう訳かこんなところに美しさを感じるんですよね。
造られた時からこの姿であれば明治ですね。
途中でできたのなら関東大震災の前になりますね。
あの地震でレンガ造りはほとんどなくなってしまったみたいです。
どこか郷愁と魅力がありますね。
今年もよろしくお願いします。
コメントありがとうございました。
都会の方が赤レンガのガードなどがありますよね。
飲み屋さんになっていたりしている所もありますが、よく見ると趣がありますね。
>昔の東横線のガードが右にみえてきます。レンガのこれと同じ構造で、違いはもうちょっと大きくて倉庫になっています。 やはりよく考えると、レンガの壁とか少なくなっていますね。 良い視点です。
ありがとうございます。やはり関東大震災でかなり見直されて減ったようです。
そのため何処か懐かしい雰囲気がします。