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葦穂と足尾山

今日は満月十五夜のようです。夜6時過ぎで、まだ東の空に上ったばかりです。月の出は4時半ごろでしょうか?
これから1日に1時間くらい月の出が遅くなります。
 さて、今日は筑波連山の足尾山についてです。
足尾山(627.5m)は筑波山(877m)と加波山(708.9m)の中間に位置し、石岡市と桜川市の境に位置する古来からの信仰の山です。またこの三山を常陸三山といっています。
今は板敷山~吾国山と並んでハングライダーのメッカとなっているようです。
 
 しかし、この山の歴史を見てみるととても興味深いのです。
山頂に足尾神社があり、延喜20年(920年)に醍醐天皇が夢枕にこの神社を知って、ここに祈願して足の病が治ったことで勅額を賜り「足尾山」となったという。額は野火で焼けてしまったそうですが、足の信仰とあって多くの草鞋や草履などの奉納があり今でも続いています。
また、全国各地に足の不自由な人の信仰の場所があるのですが、その中でもここがそのメッカ的な場所となっているそうです。

常陸風土記の(一)新治郡のところに

「郡家より東五十里のところに、笠間の村がある。村へ通ふには葦穂山(あしほやま)を越えねばならない。葦穂山には昔、油置売(あぶらおきめ)の命といふ山の主(山姥)がゐた。今は森の中の社の石屋に眠ってゐる。こんな俗謡もある。

 言痛(こちた)けば をはつせ山の 石城にも 率て篭もらなむ な恋ひそ我妹(わぎも)

(もし人に知られて辛くされたら、小初瀬山の石室にともに眠らねばならない。だから気持ちを押さへてくれ、私の恋人よ。)」

と書かれている。 (口訳・常陸風土記より)

「葦穂山(あしほやま),小初瀬山(おはつせやま)」と出てくる山がこの足尾山であり、葦穂を足尾(あしお)と書くようになったものと考えられる。
また、石岡市の足尾山の麓の村は昔「葦穂村」といい、今でも地名に使われており、葦穂小学校などがある。また近くに「芦穂」なる地名もある。

もともと葦という植物はその真っ直ぐ立つ姿から「足」「脚」などと同意語として使われたのではないでしょうか。
またパスカルの言葉として伝わる「人間は考える葦である」ということも日本語ではないので関係はないようですが面白い比喩だと思います。葦は風が吹くとしなってその流れに耐え、止めば真っ直ぐに立つというのを表現しているようです。人間の足も同じですね。
もっとも鈴木健さんによればこれも縄文語で「as:立っている、立つ」「i:もの、ところ」からきていると書かれており、「足す」を「たす」と読むのも同じで「噂が立つ」などの立つも同じだと書かれています。(「日本語になった縄文語」より)

ところで、足尾山の山中には大きな奇岩が多く、たくさんの霊場があったと伝わっています。
登山道は先日紹介した上曽宿に残された鳥居から登る登山道があったと言うが、この道は残っていないようである。

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上の写真のように上曽宿の鳥居の先は人家が建てられ山への登山道は何処にあったのかわからない。

また、石岡市小屋に、足尾神社別当だった大岩寺があるというので行ってみた。

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寺の場所はフルーツラインを北に向かって進むと葦穂小学校と葦穂郵便局の丁度中間くらいの左側の道を少し入ったところにあります。YAHOOの地図などでは詳細の地図にしないと表示されません。
また、このフルーツラインの反対側には通りに面して「井白の泉」なる名水があります。

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私は知りませんでしたが、名水としてコーヒーなどに使うと美味しいといわれているようです。
今度行った時に少しボトルにでも入れてこようと思います。(ものは試さないとわからないですから・・・)

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寺の鐘堂の向こうに足尾山の山並みが見えます。

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古い山門の佇まいも佳いです。

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寺の入口にいくつかの古びた石塔が立っていました。
「二十三夜尊」「六十六部記念碑」などが置かれています。

さて、この足尾山には昨日書いた「常陸坊海尊」が関係しているというのですが、今日書く予定でしたが時間がなくなりました。また明日にでも・・・・。
  

地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/02/18 19:15
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